「学校でしなやかに生きるということ」石川晋 著

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5月 18, 2016 at 4:01 PM

久し振りに興奮する本を読んだ。

「学校でしなやかに生きるということ」石川晋 著   発行 フェニックス
http://femixwe.cart.fc2.com/ca1/102/
学校でしなやかに生きるということ

私は今まで、教育に関心をもって活動しだして早や16年。幾多の先生にお会いしてきたが、一番気になる教師が石川 晋である。

その石川晋氏と初めて出会ったのは、平成22年3月13日で明日の教室DVD撮影の現場だった。第一印象は最悪だったが、彼の言葉が煌めいていて、編集チェックで何度もみて我慢できずにその発言した言葉をほとんど書き起こしたほどである。(そんなことしたのは後にも先にも一回きり)
http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_008.htm

http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_008_pr1.htm
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その後も何度も彼の講座で話を聞いた。一昨年は札幌まで行き堀裕嗣氏との二人会を二日間も聞いた。しかし正直あまり感じなかった。

そして、この著書である。石川氏から送られてきたのだが、しぶしぶ読むことにした・・・・・、

それが6年前の感動再びである。いやそれ以上かも知れない。

どこかで聞いたことがあるのだが、いい本というのは、筆者がその読者にだけ語りかけていると思える本であると。まさにこの本は私個人に語りかけてくるのだ。

ひとつ一つの言葉が私に突き刺さってくるのだ。教師でもなんでも無い私に問いかけてくる。無防備とも思えるその語り口に翻弄される。

やはり石川 晋は天才なのか。

生き様が生々しすぎるのだが、私には潔く写る。限りなく美しく見える。

もちろんその表現力に支えられているのであろうが、言葉のエネルギーに圧倒されるのだ。

少し長いが引用をいくつか許して欲しい。こんな教師がいるであろうか。

引用

P116

自由な場所を勝手に使いたいのである。学校から飛び出すのだ、学校的でないことしたいのである。

P175

教員の世界になじまない考えや想いを持ちながら、60歳まで一教師として子どもとともに過ごしていくというのはなかなか大変なことなんだ、とぼくは身に染みて感じたわけです。

P181

あんな先生ではない先生になろうという、ある種のルサンチマンみたいなものを背景に持っていたと、いま振り返ると、そう言えます。

P200

ぼくらの教育は見事に過去に無関心な子どもを育てつづけてるんじゃないかと、暗い気持ちになる。

引用 終わり

また、こんな文章も。

引用 P184

総合的な学習の時間はおおむね失敗したと捉えられることが多いようですが、その原因の一つは教師自身が学校の外とつながっていなかったこと、教師が総合的に生きてこなかったことであろうと思います。 引用 終わり

これは私の見解と完全に一致する。2000年にtkf(Teacher’s Knowledge Forum)を立ち上げた事由がこのことだった。総合学習の失敗の原因だけに留まらず教師としての「資質」にも関わることだと思っている。

つまりこういうことである。

引用 P199

仕事と、遊び(やさぼり)を上手に往還する先生に、魅力的な人物が多く、魅力的な教室、授業が多いといえる。引用 終わり

他にも綺羅星のごとく言葉が輝き飛び跳ねている。ぜひみなさんも一読を!

最後にもうひとつ引用を!

P206

(前略)かれらの様子をみながら、日本の教育の未来は明るいと信じられる、と思う。一人ひとりがしなやかに、したたかに、自分の職場での実践を積み上げていける土壌づくりのために、若い先生よりも少しだけ先を灯を掲げて歩める存在でありたいなあと思っている。
引用 終わり

※奥付の写真は白黒にして欲しかったなあ。残念。
読書後の余韻の中でのカラー写真は鮮やか過ぎるのです。

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