私もこんなことが言える人間になりたい。切望する。
内田樹blogより http://blog.tatsuru.com/2009/12/16_1005.php
引用―――抜粋
何年か前、武術家の甲野善紀先生とレストランに入ったことがあった。私たちは七人連れであった。メニューに「鶏の唐揚げ」があった。「3ピース」で一皿だった。七人では分けられないので、私は3皿注文した。すると注文を聞いていたウェイターが「七個でも注文できますよ」と言った。「コックに頼んでそうしてもらいますから。」彼が料理を運んできたときに、甲野先生が彼にこう訊ねた。「あなたはこの店でよくお客さんから、『うちに来て働かないか』と誘われるでしょう。」彼はちょっとびっくりして、「はい」と答えた。「月に一度くらい、そう言われます。」
私は甲野先生の炯眼に驚いた。なるほど、この青年は深夜レストランのウェイターという、さして「やりがいのある」仕事でもなさそうな仕事を通じて、彼にできる範囲で、彼の工夫するささやかなサービスの積み増しを享受できる他者の出現を日々待ち望んでいるのである。もちろん、彼の控えめな気遣いに気づかずに「ああ、ありがとう」と儀礼的に言うだけの客もいただろうし、それさえしない客もいたであろう。けれども、そのことは彼が機嫌の良い働き手であることを少しも妨げなかった。
その構えのうちに、具眼の士は「働くことの本質を知っている人間」の徴を看取したのである。
引用おわり
えっへん、私もいつもお店でこういうウエイターを捜している(^_-)
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