アーカイブ「5月, 2010」記事一覧
I come up with an idea. 「学級づくり」と同じように大切にしたい。
http://sogogakushu.gr.jp/?p=895
約1ヶ月前にこう書いた。<学校単位で教職員がみんなで協力して作り上げるという意味での「学校づくり」という概念が・・・>
このプロジェクトを動かす具体的なアイディアが浮かんだ。(というほどでも無いけど。結構真剣です)
取っ掛かりとして、新任の先生が困っている様子があり、それにアドバイスする先輩先生達という構図から始める。
先生ってみんなまじめで、ダメな子どもを放っておけないということを逆手に取って考えた。
新たに学校とはと大上段に構えて始めるより、新任の困っている先生のためにみんなが相談に乗る、自分の経験談を語る。そしてそんな先生が二人三人四人と増えていき、いつもまにかみんなで話し合っているという姿を思い浮かべました。
これならどこの学校でもありそうだし、実際あるだろう。ただ全校にまで広げられない。ここはまた考える。
これって私が夢想するナレッジマネジメントの理想型の姿です。
具体的にシナリオ化しないとダメだが、
登場人物 新任教師A・B・C、先輩教師D(3年次)、E(10年次),F(20年次)でこれから書いてみます。
重要なポイントは、主人公の新任教師の性格とこの流れを全てアーカイブする人がいること。もちろんリーダーシップも。
モデレーター(いまの言葉でいうファシリテーター)が必要でもある。
※どうして、こう思ったかというと実際今知り合いの新任の先生が困っていて、なんとか回りの先生に助けて貰っているという話を聞いたので。ただそのH先生は放っとけないというオーラが自然に出ているので、実現できそうだと思った。
久しぶりに「内田 樹」blogより『労働について』
http://blog.tatsuru.com/2010/04/28_1018.php
なぜか、静かに深く沁み込んでくる。
●引用:
労働は価値を創出する。だが、価値というものは単体では存在しない。価値というのは、それに感動したり、畏怖したり、羨望したりする他の人間が登 場してはじめて「価値」として認定されるからである。
<中略>
労働の価値は労働そのものに内在するわけではない。その成果を享受する他者たちによって事後的に賦与されるのである。
<中略>
働く人が、誰に、何を、「贈り物」として差し出すのか。それを彼に代わって決めることのできる人はどこにもいない。贈り物とはそういうものであ る。誰にも決められないことを自分が決める。その代替不能性が「労働する人間」の主体性を基礎づけている。
<中略>
その「贈り物」に対しては(ときどき)「ありがとう」という感謝の言葉が返ってくる。それを私たちは「あなたには存在する意味がある」という、他 者からの承認の言葉に読み替える。実はそれを求めて、私たちは労働しているのである。