演劇で学ぼう!環境警察2209in奈良発表会&シンポジウム

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9月 24, 2009 at 11:23 PM

http://www.fringe-tp.net/engekide/schedule.html#2009sym
奈良での23日のイベントに参加した。

小学校1年生から6年生までいろんな学校の子どもたちが
楽しそうに動き回っていた。

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「コミュニケーションティーチング」の意味合いがどこまで生かされるのか。

民主党のマニュフェストにも「コミュニケーションティーチング」が出ているらしい。
※P18『コミュニケーション教育の拠点を充実する』とある。
これに平田オリザさんが参画しているらしい。(とおっしゃっていた)
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私は平田オリザさんのファンである。
彼のハッキリした言動や考え方に共感している。
しかし、この話を聞くと少し微妙な感覚を持たざるを得ない。
国プロはいわゆる公共事業である。
基本的にほんの一部の人たちでやりくりしているものだ。
(私も昔何度か参画したことがあるのでよく分かっているつもりである)
今回平田さんが仕切られるということになれば、近しい人たちの独壇場
になるであろう。(これはジェラシーかもしれない、いらいらする)

何度も言うが、私は平田さんの大ファンである。
認めている数少ない言論人だ。
しかし、どうしても違和感を持ってしまう。
(平田さんが悪いわけではない。公共事業というシステムが悪いだけ。それとも民主党政権になってそれも変わるのであろうか)

大学での受験で演劇を採用したり、演劇を企業教育で行ったり等々の事例の
話しもあったが、何を持ってコミュニケーション能力と判断するのであろうか。

話し合いを仕切ることがそうなのか、
良いアイディアを出せることがいいのか、
演技力があることが素晴らしいのか、
声が大きいことがいいのか・・・・・etc

そんなことで評価できるのだろうか。
それぞれの役割があり、その時に出来なくとも気づきがあり
次のステップを踏み出せることに意味があるのではないだろうか。

一回こっきりのステージで判断して欲しくはない!
チャンスは何度でもあるべきであろう。

と思うのは私一人であろうか。
(しかし、私は教育に演劇を持ち込むことには大賛成である)

※平田さんはよくわかっておられると思う。
分かっていて、平易に伝わりやすく表現されているだけだとは思うのだが。

※奈良市長の仲川げん氏には期待していたのだが、
何を言いたいのかほぼ理解不可能だった。(-_-;)
司会の蓮行氏のツッコミに(提案)にまともに全く答えられなかった。
(ご自身も、最近議会答弁で官僚言葉になってきていると自虐的におっしゃっていたが・・・)

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