高専実践事例集V
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1998/12/20発行

   


  
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 ●英語理解に貢献する文法教育(50〜63P)

  文法 − 言葉に秘められたマジック −    熊谷 健  群馬工業高等専門学校講師

     
 

 文法の授業とは?

 
   

  文法の授業というのは細かい取り決めごとを次から次へと覚えさせるような単調な授業に陥りやすい面がある。そのため、英語教育を成功させるには「旧態依然とした『文法訳読方式』を排除し、新しい方法を・・・」という意見も多く、その結果、文法教育が軽視される傾向になる。しかし、文法教育が「英語理解に貢献していない」という批判を浴びている中で、「新しい方法」が画期的な効果を発揮し、しかも継続的に輝かしい成果を収めている、という明るい話題も実際にはあまり耳にしないのである。「学習者の興味・関心に訴えかけなければ学習意欲が向上しない」という理由から、「楽しく面白い授業」を望む声があるが、楽しいだけではもちろんダメである。特に高専では、科学英語・科学論文を読むための、高度な、そして実質的な英文読解力が必要とされているので、多少厳しくてもステップ・バイ・ステップ式に理解に到達する道筋を示すならば、学生は苦労しながらでも食らいついてくるというのが私の実感である。
 私にとって英語を学ぶ原動力は、「英語が分かった」という感動であった。私は「あらゆる英語がきちんと分かる」ということを目指し、文法を「英語理解の技術」として位置づけ、勉強・研究してきた。そして、その自分が得た「技術」を学生に伝授できればと教壇に立った。しかし、実際に授業を行ってみると、「英語の法則」を伝授してやろうというおごった野望はみごとに崩れ落ちた。悲しいことに、多くの学生には、「伝授される内容」に耳を傾け理解しようという姿勢、体力、忍耐力も十分に備わっていなかったが、それ以上に、私は自分自身の文法の授業の中に、「英語が分かった」という、彼らに感動を起こさせる盛り込みの不足に気づき、ここ数年、授業の再構築に努めた。
 本稿では、「文法の授業というのは面白くない、難しい、役に立たない」といったような不満を払拭することを目指した「私の文法の授業」を紹介できればと思う。

 

   一.「文法」の魅力を伝えたい-「グラマー(文法)」は面白い!
   

 そもそも「面白い」というのは、「知的好奇心に訴えかける」という意味で考えた場合、地道な努力を土台にするものである。後で述べるように継続的に知的作業を繰り返させる中で、文法の授業、ひいては英語の授業でいかに学生の「知的好奇心」を引き出すか、ということが課題となる。

 

   「グラマー」は「マジック」だ
   

 さて、「文法」を意味する語「グラマー(grammar)」から話を始めよう。
 「グラマー」と言えば、grammar(文法)の他に、glamour という英単語に行き当たる。後者の意味は、「魅力、魅惑、性的魅力」などというものであり、発音は grammar と比較して、lとrの違いだけである。何と、この違いは日本語になると消滅する。この一見「似て非なる」英語の二単語は実は歴史的に関係がある。長い歴史の中で変化を受け、一見すると関係がないように思われる言葉が密接に結びついていることがよくある。
 「グラマー(grammar)」という語は実に興味深い歴史を持っている。もともと「読み書きの技術」の意のギリシャ語から由来しているという。中世に入り、ラテン語で「学問一般」を意味するようになり、「魔術(=magic)」や占星術と結びついた結果、「魔術」といった意味あいが生じる。「グラマー」は「マジック」となったのである。「魔術」と出会った「グラマー(grammar)」は、その後、「文法」という意味が残る一方で、十八世紀頃のスコットランド語において「魔法・魔術・魔力」という意味の「グラマー(glamour)」に変身する。興味深いことに日本人の悩みの種である、「 lとrの混同(?)」が起きたのである。さらに、この glamour は、現代英語において「魅力・魅惑」の意味にたどり着く。言葉のマジックはここで留まらない。日本語に入ると、「グラマー(glamour)」は「魅力・魅惑」という英語の意味から離れ、「女性の体型的な豊かさ(または、そういう女性)」といった意味になってしまったのである。
 こうして、「グラマー」という日本語もさることながら、grammar と glamour という英単語はさまざまな民族と文化を通り過ぎ、現代英語においては全く異なる単語として我々の目に触れることになる。
 そもそも「文法(grammar)」は文字どおり「魅力(glamour)」に満ちあふれたものなのである。我々が使っている言葉は無秩序に存在しているのではなく、「隠れた法則・真理(文法)」が実にみごとに支配しているものなのだ。そういった「文法」を学べば、わくわくするに違いない。また、「読み書きの技術(文法)」を知らなければ、ある言語を話したり読んだり書いたりすることはできない。したがって、「英語理解」ということを真剣に考えれば考えるほど、文法は英語学習には欠かせないことになる。これらのことに納得がいくなら、「文法は面白くない」「役に立たない」といったような先入観が抜け落ち、学習に対する態度が異なってくるのではないかと思う。
 「グラマー」とは「魔法と結びついた学習」であり、「魅力(glamour)」を秘めた「マジック」でもある。文法を教える教師はある意味で「魔術師」の役目を負う。この「グラマー(文法)」の隠れた魅力を学生に気づかせる役目を担っているのである。文法の授業において、どうにかして学生の「知的好奇心」を駆り立てなければならない。
 英文法教育、ひいては英語教育全般を「単なる暗記の繰り返し」にしてはならないのである。学生には、文法の授業を通して英語の法則を「発見」してもらいたいし、できることなら英文法に魅了されて欲しいのである。大げさに聞こえるかも知れないが、私の授業はその目標に対する挑戦である。

 

   二.「分かる」ということを目指す授業の組み立て
 文法の授業の出発 − 文法の難解さからの脱却
   

 次に、「私の授業」にもう少し近づいていこう。
 
私は、「文法の授業において、マジックを起こすには?」と考えた末、次に述べる「記号づけ」(1)を利用し、徹底的に品詞を理解させることから始めることにした。学校文法の基礎である品詞と基本文型を中心に据えて、「1週間に1コマ、90分、2年間」の文法の授業を組立て直したのである。
 「記号づけ」を活用した文法学習は、おおかた次のように進む。名詞・代名詞に下線。動詞を丸で囲む。前置詞句を( )で括る。前置詞は名詞・代名詞とまとまりをなし、前置詞句を形成するので、「句の概念」の理解に最適である。そして、文の中に文を導入する従属接続詞や関係詞を四角で囲み、その従文を[ ]で括る。
 このように「名詞に下線を引け」というところから出発し、品詞、句、節といった順序で英文構造を理解する手順を明確にしたことで、誰にでも参加できる文法の授業となった。また、単純な「記号づけ」を繰り返すことで、一見複雑な英語の構造を単純化して見せ、学習者がふと立ち止まって考えた時に英語の法則性に気づく機会が増える結果となった。「ああ、なるほど」という学生の反応が返ってくることが多くなったのである。
 考えてみれば、文法の授業で扱われる文法事項の大半は、品詞を知らずしては意味をなさない。品詞の概念が分からなければ英語の構造どころではないのである。例えば、副詞が分からなければ不定詞の「副詞(的)用法」も分からないし、「副詞節」も分からない。また、動詞や名詞が分からなければ「動名詞」も分からない。ましてや「修飾」「主語」「目的語」という基本概念は言うまでもない。

 

   疑問を持つこと − 理解への第一歩
   

 一学級四十人で英語という外国語の授業をする。その四十人の個人学力差も大きい。そういった中である程度の成果を収めるためには「一斉授業」と「個別指導」の融合をうまく計らなければならない。「個別指導」の時間を授業に多く組み込み、少しでも多くの質問を引き出す。さらに、その中で一般的なものを「一斉授業」で取り上げ、学習する法則へ導く。一人でも多くの学習者に「英語が分かった」という感触を味わってもらいたいと思う。その際に、一人一人の学生が自分なりの疑問を持つことが重要である。それは自主的学習の促進にもなり、その結果「法則性に気づく」一歩となる。
 質問することに慣れていなかったり、人前では質問できない学生も実に多い。そこで、個別に学生の側まで行って、「こっそりと」と質問を聞いたりする。私は、「くだらない質問なんていうものはないんだ」と繰り返し言うことにしている。
 一年間「記号づけ」を通して、基本的な英文構造理解の訓練を繰り返した後で、「丸カッコ ( )ってどういう時つけるんだっけ?」という初歩的な質問が出ることもある。以前は我慢しきれず、「おまえは一年間何をやっていたんだ」と腹立たしく思ったものだが、今では「よくぞ質問した。ようやく勉強する気になったな」と心の中でほめるようにして、質問に答えている。不思議なことに、そういった「腹立たしい質問」が最近は皆無に等しい。「くだらない質問なんていうものはないんだ」ということを私自身が心の奥底で理解したのかもしれない。

 

 文法は役に立つ!
 実際の授業中の質問は多岐に渡る。毎回プリントに課している「記号づけ」の中に、「名詞・代名詞に下線を引け」というものがあるが、「どうしてその単語に下線が引かれているのか」または「引かれていないのか」という単純な形式の質問も多い。形だけから「名詞である」とか「動詞である」「形容詞である」と判断できない英単語が実に多いのである。こういう質問はしばしば実に高度な質問になる。英文の構造把握にとって品詞の理解が不可欠であるからである。
 また、「前置詞句の( )の閉じる位置はどこか」という質問もよく出る。これは文中の文(従文)を表す[ ]でも同様で、閉じる位置が句や文のまとまり、つまり、修飾関係などの意味のまとまりを表し、英語理解には欠かせないものである。文法がまさに英文読解に貢献する瞬間である。難しい文法用語の解説に終始する文法の授業よりも、文法用語の使用を極力避け、単純な記号を使って文構造を把握させる方法をとれば、回り道せずに「文法の授業で目指すもの」に向かうことが可能になる。
 さらに、品詞の区別に敏感になると辞書の引き方も分かってくる。その結果、難しい文を読む「術」が手に入り始める。そして、「英語が分かる、難しくない」という実感へ少しずつ近づいていくのである。

 九十分の授業展開
 では平均的な九十分の授業展開を紹介しよう。
 授業開始のチャイムが鳴り、出席の確認をする。その後すぐに、予習用に前もって提出させたチェック済みのプリントを返す。この際、あまり時間をかけないように五〜六人の学生に配るのを手伝ってもらう。この予習用プリントにはその回の授業で扱う英文をすべて打ち込んであり、学生には各英文への「記号づけ」と和訳を行うように指示してある。また、多少の英作文を混ぜてあるので、応用問題もやることになる。理解力のある者は、この段階で授業の要点を把握する。プリント提出によって、ほぼすべての学生が予習をしてきている状況になり、また、未提出の学生を前もって把握しているので、注意を払いながら指導し、授業が比較的スムーズに展開する。
 プリント返却と同時に、「記号づけ」と英作文の解答例を配り、学生はそれを受け取るとすぐに答え合わせを始める。私は、その間質問がないか教室中を歩き回り、学生の学習状況を確認する。ぼやぼやして授業の用意が整わない学生には注意をしたり、学生の質問に個別に答えたりする。
 出てきた質問を元に、その日に学習する重要事項の解説にできるだけ自然に移行する。私は、学生からの質問とそれに対する解説で授業を構成するように心がけている。質問が豊富なほど説明も意味のあるものになる。多くの学生が同じ質問を胸に秘めているからである。
 学習事項の解説が一通り終わったら、訳の確認をする。これは文法事項の理解が英文解釈に役立っているかどうか確認する意味でも大切である。
 訳の確認を終えたら、一通り「予習↓授業」とうまくいったことになるのではあるが、英語力をつけるためにはもちろん復習も欠かせない。一般的な学生は、予習と同様、ただ単に「復習しておきなさい」と言っただけではやらないものである。そこで、授業の残り時間を使って、学習したばかりの英文を復習専用のノートに書き写させる(「記号研」の実践における「速写」)。授業でその余裕がない場合は家庭学習にまわす。そして年に四回、定期試験の際に集め評価する。
 英語を書き写す速度も学生の力量によってさまざまである。200語〜300語の英語を十分以内で写せる者もいれば、二十分以上もかかる者もいる。私はこの英文の「速写」中に、また教室内を歩き回り、学生の取り組み具合を見る。そして、授業中に理解に達しなかった学生に再度説明したり、「速写」を早く終えた学生には次の授業用の予習プリントを配り、辞書を引かせながら問題を解かせる。ここでまた時間があれば個人指導を繰り返す。辞書の引き方も指導する。こうしてみると90分は実に短い。

 ある日の授業の実録 −「グラマー」が「マジック」になる
 「記号づけ」+プリントを使った訓練を繰り返し、文法の授業も二年目に入った頃に関係代名詞を本格的に扱う。関係代名詞の所有格 whose や、of whom , of which などの前置詞を伴った関係代名詞の理解が学生にとって非常に困難なことが悩みの種であった。規則・法則を解説するだけでは理解に到達しないのである。
 そこで、今回、思い切ったアプローチを取ることにした。予習プリントの解答例で、今まで whose としていた所有格の関係代名詞の記号を whose としてみた。これが今回のマジックの仕掛けである。
 案の定、解答例を配るとすぐに、「whose の記号は、なぜ whose じゃないの?」という質問が学生から飛んできた。文例は、This is the boy [ whose mother teaches us math ] .であった。
 「 whose motherwhose は who の 's (アポストロフィー・エス) 形で、the boy 's motherと同様な形。 's はいわば名詞と名詞をつなぐ際の、日本語の『〜の』に相当するわけだったよね」と私が答える。この 's の働きは、名詞に下線を引く訓練を始めてから何度となく学生が行き当たった「規則」であった。
 すると、「じゃあ、whose ではなくて、who's では?」と来た。他の学生が「 who's は who isとか who has だよ」と私の代わりに答える。それに加えて、私が「 who は関係代名詞だから、代名詞だろう。みんなが知っているように、代名詞は『〜の』という時には、's が中にこもっちゃって、例えば I's ではなく my、he's ではなく his 、it 's ではなく its ってなるから、who も whose ってわけ(厳密には代名詞といっても人称代名詞)」と説明する。
 一方で、「私たちは、ストーリーをとてもよく知っていた映画を見ました」という英作文問題に対する解答例 ”We saw a movie [ whose story we knew very well ] .”において、「whoseが出てくるのは納得がいかない」という学生が何人も現れた。先行詞が a movie という「物」だから which ではないかというのである。見てみると、多少の差はあれ、学生は ”We saw a movie which we knew the story very well.”という英文を作っている。
 「そうだね。which を使うっていう考えは悪くないね。でも a moviewhich と the storyのつながりが問題だなぁ。『知っていた』のは『映画のストーリー』でしょ。だったら、もともと the story (of the movie) か、せめて the movie 's story でしょ。関係代名詞で言うと、the story ( of which ) か which's story。いや待て、教科書に whichthat は 's 形に相当するもの(所有格)がないとある。それで、仕方なく whose story っていうわけだ。でもどうしても which を使いたいなら、”We saw a movie [ the story ( of which ) we knew ……very well ]. ”っていうところかな。」
 その他、We saw a movie [ which we knew the story ( of ) very well. ] という形もあるが、学生が消化不良を起こすことを懸念し、欲張らずに我慢する。もちろん質問の出方によってはここまでたどり着く。
 このようにして、日本語の「名詞1の名詞2」というつながりを、おおざっぱに英語で言うと、
" noun1 's noun2”か " noun2 ( of noun1 )"であるという既習の「規則」を基に、関係代名詞の場合、"whose noun " もしくは " noun ( of which ) " となることの理解を目指したのである。
 「なるほど。それで分かった」と声を上げた学生がいた。一連の問答で、He lives ( in a house [ the first floor ( of which ) is a shop ]). と He lives ( in a house [ whose first floor is a shop ]). という一組の例文が納得できたと言うのである。繰り返すまでもないであろうが、the first floor ( of the house ) と the house's first floor の対応関係がすんなり納得でき、英文の理解が進んだのである。
 学生が理解に到達したこれらの例は、英文が読める多くの人にとっては、言ってみればたわいのないレベルの文であろう。「そんな英語の規則・取り決めごとはどんな文法の教科書にも解説が載っている」と言うであろう。しかし、そういった解説のみで学生が実際にどの程度理解できるのか、はなはだ疑問なのである。

   三. ま と め
   

 ここで提示した私の授業方法や実践は、もちろんまだ不完全なものである。私には、極言になるかもしれないが、「マジック」を起こすことで英語理解に貢献するようにしなければ、文法の授業は不要になる、という切羽詰まった気持ちがある。なぜなら、私自身、高校時代に受けた文法の授業を思い起こしてみても、教科書そのものの学習となると実に難解で、ほとんどの学生が理解に達しないのではないかという危惧があるからだ。文法の授業を魅力的にする我々教師側の努力は、たえず欠かせないであろう。
 かなり制限を受けている現状の下、文法をどう教えるか。私は、文法で教えることを簡素化する必要があると考えている。結論的に言えば、品詞と基本的な文構造を徹底して学習させ、句・節のまとまりの理解へ持っていくことである。その結果、文法の授業で「マジック」が起き、英語の法則性の理解に達しやすい土台ができるように思う。
 最後に繰り返しになるが、科学論文・科学英語の読解が必要とされる高専の英語教育において、ここで述べたような品詞と基本構造の理解が大いに貢献する可能性があるというのが私の実感である。そのような反復学習は英語の法則の理解・習得へ向かい、より高いレベルの英語理解へ到達する道筋を提示すると思われる。

注 (1)寺島隆吉氏ら、英語記号づけ研究会(「記号研」)の理論や実践を参照
(寺島隆吉(1986)『英語にとって学力とは何か』三友社出版)。
さらに、熊谷健一「学校英語教育における効果的な文法教育を求めて-『記号づけ』の活用-』
      (『群馬高専レビュー』第十六号、1998、11〜23頁)参照。

 

   
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