高専実践事例集V
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1998/12/20発行

   


  
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  5. 解説最新情報

 

 ●ドイツ・バイロイト便り(250〜266P)

  ドイツの「専門大学」            大久保清美   沼津工業高等専門学校助教授

     
   はじめに
 
   

 ドイツ人に高専のことを紹介する際に筆者は、Fachhochschule (専門大学、以下FHと略す)という単語を使うことにしている。日本とドイツの学校制度を比較する時、日本の高専に最も近いと思えるのは、このFHだからである。幸い筆者は現在、平成九年度文部省在外研究員として、ドイツ・バイロイト大学にて比較ドイツ文化論 (Interkulturelle Germanistik) の研究を行っている。そこで、この地の利を活かして先日、バイロイトから電車で約一時間の所にあるニュルンベルクのゲオルク・ジーモン・オーム専門大学(Georg-Simon-Ohm-Fachhochschule N@rnberg以下、FHNと略す)を訪問してきた。もうお気付きの読者もいらっしゃるだろうが、このFHは、「オームの法則」の発見者として名高い物理学者ゲオルク・ジーモン・オームの名前を校名に冠しているのである。しかし、その経緯については、あとで述べることにする。
 ところで蛇足ながら、ここで、バイロイトとニュルンベルクとについて、あらかじめ少し紹介しておきたい。
 バイロイトは、バイエルン州オーバーフランケン地方(この「地方」というのは、ここではRegierungsbezirkのことで、日本流に言えば「県」のことであるが、ドイツのすべての州がこの行政区画を採用しているわけではないので、ここでは簡単に「地方」という言葉を使っておく)の中心都市で、人口約十万。何と言っても、ワーグナーの音楽祭で世界的に有名な町である。この原稿を書いている丁度今、音楽祭が開かれているが、世界一流の音楽家達が集まって来ているのは言うまでもないが、観客の方も有名人に事欠かない。昨日はアメリカの女優ジョディー・フォスターや連邦政府のキンケル外相が来ていたそうである。小さいが、華やかな町である。
 他方、北を旧東ドイツと、東を現在のチェコと接しているこのオーバーフランケン地方は、戦後の東西分裂時代、過疎化の進んだ地方でもあった。地理的に、いわゆる「どん詰まり」の所に位置していたからである。(バイロイトからは、北へ行っても、東へ行っても、それぞれ約七十キロで「鉄のカーテン」にぶつかった。)それまで大学のなかったこの地方に一九七五年にバイロイト大学が新設されたのも、この地域からの若者の流出を防ぐ地域振興策の意味合いが強かった。
 オーバーフランケン地方はまた、ビールの産地としても有名である。先日EUが、ミュンヒェン、クルムバッハ、ホーフ、マインフランケン、ブレーメン、ドルトムントの各ビールを模倣から保護する政策を打ち出したが、このうちの二つ、つまりクルムバッハとホーフはともに、オーバーフランケン地方にある。バイロイトからは目と鼻の先である。おかげで毎日、とても旨いビールが飲めている。ありがたいことである。(ちなみに、バイエルン州だけでドイツ全国のビールの六十パーセント以上を生産している。)
 ニュルンベルクは、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に描かれているように、中世以来、職人の町として栄えてきた。また、神聖ローマ帝国の帝国議会が開かれる都市としても有名だった。つまり、昔からドイツの中のドイツと呼ばれる都市だった。しかし、これに目を付けたのが、ヒトラーだった。彼は、神聖ローマ帝国の帝国議会に倣い、この地で党大会を開催した。一八三五年にドイツで初めて鉄道が敷かれたのもこの町だったが、その後のこの都市の鉄工業の発展はまた、軍需産業へも繋がって行った。結局ナチの戦争で、連合国軍によって、都市部の九十パーセント以上が破壊されることとなった。戦後、ナチの戦犯を裁いた有名な「ニュルンベルク裁判」が首都ベルリンでなくこの地で行われたのは、このようなナチとニュルンベルクとの結びつきによるものだという説があるが、これは必ずしも正しくない。実は、ニュルンベルクでは、裁判所のすぐ裏手にある大きな刑務所が焼け残っており、大勢の被告達を一般市民の目に触れさせずに審理するのに好都合だったからだそうである。
 現在のニュルンベルクはバイエルン州ミッテルフランケン地方の中心都市であり、おもちゃとクリスマス市と「ニュルンベルガー」という小振りのソーセージとで有名な、人口約五十万の、ミュンヒェンに次ぐバイエルン州第二の、ドイツとしては大都市である。
 さて、前置きが大変長くなってしまったが、そろそろ本題に入りたい。以下に、FHNの訪問記を含め、ドイツのFHを紹介してみたい。

 

   一 FH(専門大学)とは
   

 ドイツのFHはドイツ特有の学校制度である。その歴史はまだ浅いが、その人気は急速に高まっている。すでに現在、高等教育機関入学者の約四分の一がFHに入学するに至っている。その数は設立当初の五倍に上り、その間の卒業者数は、全高等教育機関卒業者数の35パーセントに上っている。(数字が合わないのは、大学入学者の平均30パーセントが卒業できないまま途中で脱落するからである。)特に工学の分野では、高等教育機関卒業者数の半分以上がFHの卒業生で占められている。

一・一 特徴(実践的職業教育、比較的早い卒業)

 学生にとって魅力的なのは特に、大学に比べてより早く職につけることである。効率的に組織化された教育課程、小人数授業、職業実践の必要性に合わせた授業課目が、大学に比べてより早い卒業を可能にしている。
 授業の無い期間(学期間休暇)は、大学に比べて、概して短い。しかしこれは、研究の放棄を意味するわけではない。FHにおいてもまた、教育と同時に研究も行われる。しかしそれは、あくまでも、実践的、応用的分野に向けられている。

一・二 FHの歴史

 FH設立の議論は六十年代後半に溯る。ドイツ経済を国際競争の中で競争可能なものとして維持する必要性から、実際的課題を学術的専門教育の基礎の上に立って迅速かつ成功裏に解決できる能力を持った人材の養成が急務となった。そして、そのような要請から、数多くの新設大学と並んで、FHも設立されるに至った。残念ながらFHについての資料はないが、大学については、1969年から1975年までの間に、22もの州立(すなわち国立)大学が新設されている。
 大抵のFHは、工業学校や高等経済専門学校等の、学術的要求を持たない職業専門学校をその前身としている。しかし、1969年の当時の西ドイツ各州の文部大臣の決議(ドイツでは、教育問題は各州の専権事項である)および一九七六年の連邦の大学大綱により、FHは大学と同様の高等教育機関と見なされるに至った。一九九〇年のドイツ統一以降は、旧東ドイツ地域でも、旧西ドイツのFHと同等レベルと見なされた工業高等学校のFHへの改組や、FHの新設が行われている。
 FHNの歴史についていえば、バイエルン州の専門大学法に基づいて、1971年8月1日に設立された。工学、経営学、社会教育学、デザインの四専攻分野があるが、特に工学科の前身の歴史は古い。その始まりは、1823年に当時のニュルンベルク市長でドイツ初の鉄道の創設者でもあるヨハネス・シャーラーによって設立された「市立工業専門学校」である。この学校が1833に国立になった時に物理学者ゲオルク・ジーモン・オームが教授陣に加わり、一八三九年から一八四九までは校長職を勤めた。その後、この学校は「王立バイエルン工業専門学校」、「国立ニュルンベルク高等工業学校」と名称を変えていったが、1933年の創立100年祭の際にオームの名誉を称えて「ニュルンベルク・オーム工業専門学校」(Ohm-Polytechnikum N@rnberg)となった。これが工学科の直接の前身である。また、経営学科の前身は、1963年に設立された「ニュルンベルク市立高等経済専門学校」、社会教育学科の前身は、1968年設立の「ニュルンベルク市立社会教育高等専門学校」等(その前身は、さらに1927年に溯る)、デザイン科の前身は、1968年に設立された「ニュルンベルク市立グラフィック・広告高等専門学校」(その前身は、さらに1910年に溯る)である。なお、現在の校名「ニュルンベルク・ゲオルク・ジーモン・オーム専門大学」は、バイエルン州議会の決議により、1983年にその名を与えられた。

一・三 多様性

 1996年現在で、全国に130以上のFHがある。それと並んで、約30の行政当局内のFHもある。これは連邦や州によってその独自の目的のために運営されており、それゆえ、ドイツの公職に就いている者のみしか門戸は開かれていないが、これらはすべて州立(すなわち国立)である。ということは、授業料はただである。その他に約三十の、州によって認可された私立のFHがあるが、これは大抵、教会によって運営されている。(ニュルンベルクにもFHNの他に、プロテスタント教会の運営する私立のFHがある。)ちなみに、大学(Universit@tおよびHochschule)の総数は約160であり、これらも大部分が州立(すなわち国立)である。
 FHの専攻分野の種類のもまた、多様である。工学、経営学、デザイン、社会教育学、図書館学、翻訳・通訳等、全部で約十五専攻ある。中でも工学は、FHの総学生数の約四十パーセントを占める最大の分野であるが約三十の専門学科に及んでいる。FHNの工学分野の紹介をすれば、建築、土木、電気、精密、情報、機械、工業化学(バイオテクノロジーを含む)、プロセス、供給、材料の、全部で十学科である。

一・四 学生数

 FHの学生総数は、1993年の統計で、約44万人、内、外国人約2万4千人。共に高専に比べて、遥かに大きい数字である。ちなみに、入学の学生総数は、約143万人である。しかし、先にも書いたように、大学での脱落者が多いため、卒業者数の比で見ると、FHと大学とでは、およそ1対2に縮まる。                              7
 一校当たりの平均学生数を見ると、FHは約四千人、大学は約1万5千人である。FHNについて言えば、先の冬学期の統計で、総学生数8105名、その内、工学専攻が4457名、経営学が2291名、社会教育学が1056名、デザインが301名である。さらに、工学専攻内の内訳を見ると、電気855名、機械539名、情報四三四名などとなっている。つまり、もうお分かりのように、FHNは、FHとしてはとても大きな学校である。FHとしてはバイエルン州第二の大きさであり、学生総数は、筆者のいるバイロイト大学に肩を並べている。
 奨学金を受けている学生数の比較も興味深い。1993年の統計によると、大学生の約20パーセントが奨学金を受けているのに対し、FHの学生は、約40パーセントが奨学金を受けている。

一・五 地域密着性

 日本の高専もそうであるが、ドイツのFHも、比較的小さな、あまり有名でない町にあることが珍しくない。例えば、筆者がいるオーバーフランケン地方にも、コーブルクとホーフ(先に触れたビールの産地)にFHがあるが、こういう町の名前をご存知の読者は少ないだろう。
 FHはまた、実際的な共同研究や研修を通して、その地域の経済や行政と多種多様に結びついている。多くの卒業論文がFHと企業との共同研究の中から生まれている。そうすることによって、実業界が必要としているものが学生の視野にも入り、またその研究にも取り込まれる。その結果また、FHの卒業生の方が大学の卒業生よりもより良い就職のチャンスを得られることも、珍しいことではない。
 学生の出身地を見ても、地域密着性は明らかである。FHNの場合、70パーセント以上の学生が、ニュルンベルクまたはその周辺のミッテルフランケン地方の出身である。しかし、これは、実は、ドイツの場合、大学についても言えることである。大学でも、大抵の場合、平均70パーセントの学生は、その地域の出身者で占められる。その理由は、ドイツでは基本的に大学間格差が無いこと、また、連邦制のため地方自治が確立していて、全国どこにいても一定水準以上の文化生活が営めるからである。

一・六 就職

 筆者がFHNを訪問した際応対して下さったファルゲル女史がとにかく自慢げに強調したことは、FHは就職が良いということだった。彼女によれば、大学生は理論ばかりやっていて、役に立たないそうである。それはともかく、それでは具体的にどんな学生がどんな所に就職しているのか資料を見せてほしいというと、それは無い、と言う。いかにもドイツらしい話である。ドイツでは、日本のように教授が就職の世話をしたりすることはない。そもそもゼメスター制だから、三月に卒業する学生もいれば、九月に卒業する学生もいる。したがって、日本のような「就職シーズン」もない。学生は、学校を卒業したら、資格と実力だけを頼りに、自分で道を切り開いて行かねばならない。これがドイツ流である。したがって、FHも誰がどこに就職したかなどは追跡していないという訳なのである。
 しかし、筆者がバイロイトの地元紙の求人欄を眺めてみただけでも、FHの卒業生の就職の良いことは、よくわかる。実際、FHの卒業生を指定した求人広告がよく目に付く。例えば、八月一日付の新聞で言えば、産業排気ガス清浄会社、金属加工会社、バイロイト大学機械工学科等が、それぞれFHの卒業生を指定して、技師や技官を求めている。

一・七 国際性

 このように地域に根を下ろす一方で、FHはまた、外国の大学等と協力協定を結び、学生、教員、教材等の交換・交流を促進し、実習生の相互の受け入れが可能となるよう、努力している。
 FHNについて言えば、現在、フランス、イギリス等を始め、世界21ヵ国、49の大学等と協定を結んでいる。

 

   二 組織、施設
   

 二・一 教員

 教授、講師陣は、その学問的資格・能力と並んで、通例また実務経験を持っている。自らの専門領域において、少なくとも五年の実務経験が要求されている。
 教員の週当たりの平均基準授業時間数は、14ないし16時間である。ちなみに、大学教員のそれは、六ないし八時間である。
 参考までに、FHNの教員数は、教授210名、非常勤を含むその他の講師318名である。

二・二 学長

 FHの組織は、大学に似ている。最高責任者は学長であり、それを数人の副学長が補佐する。それと並んで、行政官の事務局長がいる。議決機関は、学長、副学長、事務局長、およびその他の教職員、学生の代表からなる全学会議(FHNでは119名)と評議会(FHNでは32名)であり、その任務は、研究・教育問題、学則、試験規定、教員の任用、各学科の人員・設備等についての協議・決定であるが、特に研究・教育問題および教員の任用については、教授人の意向が絶対的である。

二・三 学科構成、その他

 FHは各学科によって構成されている。学科を主導するのは学科長である。専門教育は各学科毎に行われる。その際、ひとつの学科がいくつかの専門教育を包括することは可能である。それと並んで、例えば、法学、社会学、語学等の、多くの専門科目に必須の、一般的、基礎的課目に責任を負う学科がある。ただし学生は、この学科を卒業することはできない。
 各学科毎に教官室、事務室があり、必要に応じて実験室、スタジオ、工場がある。(FHNには、機械工場と電気工場とがある。)中央の施設としては、図書館、計算機センターがある。(FHNには、中央図書館の他、社会教育学科および経営学科に図書館分館がある。)また、外国人学生課もある。
 なお、FHや大学とは別組織だが、学生援議会(Studentenwerk)の運営する学生寮と学生食堂がある。しかし、これは、FHNの場合、エアランゲン・ニュルンベルク大学と共用である。したがって、学生寮の部屋数は絶対数が不足しているし、学生食堂も、工学科のある本部から徒歩約十分と、少々不便である。本部にはカフェテリアがあるが、食べ物はサンドウィッチ程度しかなく、この点は、高専の方が便利である。

 

   三 教育課程
   

 三・一 入学資格

 FHの入学者の一般的コースは、四年間の基礎学校(Grundschule)、六年間の実業学校(Real-schule)、二年間の実業高等専門学校(Fachoberschule)を経て、専門大学入学資格試験(Fachhochschulreife または Fachhochschulabitur)に合格するというものである。日本の学校制度と比較した場合、FH入学以前に合計十二年間の勉強が必要なので、FHへの入学年齢は、日本の大学の入学年齢と同じということになる。
 これとは別に、四年間の基礎学校、九年間のギムナジウム(Gymnasium)を経て、大学入学資格試験(HochschulreifeまたはAbitur)に合格すれば、大学入学資格と同時に専門大学入学資格も得られる。この場合は、それまでに合計13年間の勉強が必要なので、大学またはFHへの入学年齢は、日本の大学二年生のそれに当たる。しかし、実際は、アビトゥーア(大学入学資格)取得者がFHに入学するケースは少ない。また逆に、専門大学入学資格だけでは、当然のことながら、大学入学は許されない。
 なお、男子学生には、大学やFHの入学前に10ヶ月の兵役(Wehndienst)、またはそれに代わる13ヶ月の兵役代替社会奉仕勤務(Zivildienst)が義務づけられている。従って、これらの男子学生は入学が一年から一年半遅れる訳だが、兵役不適格者もいるし、女子学生もいるので、FHの入学者の年齢は結局、18歳から20歳位の間になる。

三・二 学期(Semester)と学期間休暇

 冬学期は九月または十月(州によって異なる)に、夏学期は三月または四月に始まる。一学期の長さは半年であるが、講義期間は通常、四ないし五ヶ月間である。

三・三 標準八学期

 「標準」八学期(すなわち四年)で卒業要件が満たせるよう、カリキュラムが組まれている。その内、通常、六学期間は学内での講義等に当てられるが、二学期間は学外での実習が義務づけられている。この学外実習については、将来的には更に強化される予定である。また、理論・研究により多く重心を置いている大学の学生に比べ、FHの学生は、「標準在学期間」をオーバーする者の数も少ないし、またその期間も短い。
 参考までに、大学工学部の設定している「標準在学期間」は五年(十学期)であるのに対し、卒業生が実際に要する年数は、平均六・七年である。他方、FHの設定している「標準在学期間」は先にも書いたように四年(八学期)であるのに対し、卒業生が実際に要する時間は、(これについては正確なデーターはないが、FHNのファルゲル女史の話では)、大体九ないし十学期、すなわち平均在学期間が約二年短いので、合計三年早く社会に出ることができるのである。

三・四 基礎課程と本課程、試験

 教育課程は、基礎課程(Grundstudium)と本課程(Hauptstudium)との二つに大きく分けられる。基礎課程は、最初の二ないし四学期間であり、中間試験(Zwischenpr@ng)または予備試験(Vorpr@fung)と呼び名は学校毎に異なるが、同じものの合格をもって修了と見なされる。本課程の終わりには卒業試験(Abschlu@pr@fung)がある。この課程および試験制度は、基本的に大学と同じである。また、試験期間は、毎学期の講義期間終了時に設定されている。
 基礎課程では、各々の専門に必要な基礎知識を学び、その応用を練習する。実験、演習を含んで、週二十ないし三十時間が必修である。このように基礎課程では必修課目が多いのに対して、本課程では選択の幅が広がる。学生は、各自の関心に応じて選択必修課目を選ぶことができる。また、基礎課程、本課程を通じて、自由選択課目ももちろんある。なお、大学のような主専攻(Hauptfach)、副専攻(Nebenfach)の制度はない。

三・五 実習学期

 先にも述べたが、FHでは、一ないし二学期間の学外での実習が教育課程に組み込まれている。学生は大抵、第三学期および第六学期に学外実習を行う。第三学期には基礎的・導入的な実習が、第六学期には、より職業に密着した実習が行われる。その際、学生は、FHの実習学生課の助けを借りて、地域、ドイツ国内、あるいはまた外国の企業等(留学生が自国で実習する場合がある)に、適当な実習先を自分で探さなければならない。この実習学期間中も、それに添った講義やゼミがFHで行われる。例えば、毎週金曜日に実習学生達が学内に戻ってくる。実習期間中の学生のコントロールの意味も兼ねているのだろう。また、実習学期間の最後には試験も行われる。なお、FH入学以前に専門に関連した職業教育を受けた者については、この実習期間の短縮が認められる場合もある。

三・六 卒業、学士(FH)

 FHの卒業生に授与される学位は「学士(FH)」“Diplom(FH)“であり、括弧付きのFHを付け加えることによって、大学の「学士」“Diplom“とは区別される。例えば工学では、Diplom -Ingenieur(FH)となる。卒業要件は、実習を含む標準八学期の課程修了、より広範にして自立的、また応用的かつ学問的な卒業論文の提出、そして筆記および口頭で行われる卒業試験の合格である。

三・七 講義、演習、ぜみなーる、実験実習

 講義、演習、ゼミナール、実験実習は、全てのFHに共通である。そして、これらの授業課目への一定以上の出席は義務づけられており、それは、成績証明書によって証明されねばならない。
 演習は、基礎課程の授業課目であり、そのテーマはしばしば、講義の内容と緊密に結びついている。ゼミナールは、中間試験合格後初めて、すなわち本課程になって初めて受講することができる。ゼミナールは、演習とは違って、専門的なテーマを取り扱う。
 これら演習やゼミナールの参加者は、25ないし30名を超えてはならない。ただし、経営学のような大きな学科は、50名を超えることもまれではない。
 また、これらの授業課目を自分で選択し、決定できる可能性は、大学ほどは大きくない。

三・八 大学編入

 FHと大学との一番の違いは、FHにはいわゆる大学院がないということである。博士論文は大学にしか提出できない。FHの卒業生の大学への編入は無条件に認められてるが、まだ規則としては統一されていない。現在、大学の学部に編入することなく、初めから大学院に行けるよう努力がなされている。しかし、FHNで聞いたところによると、FH卒業後更に大学へ進む学生は10パーセントに満たないそうである。つまり、FHは完成教育の場なのである。逆に、理論中心の勉強について行けず、大学からFHに転学する学生は、数字は分からないが、少なからずいるようである。FHNでインタビューした機械工学科の学生がそう教えてくれた。

 

     おわりに
   

 修業年数から見て、学士(Diplom)が日本やアメリカの修士(Master)に相当するドイツからすれば、日本の四年制大学は半大学、高専は半専門大学ということになるだろう。実際、ドイツ人が日本にある大学を指してハルプ・ウニ(半大学)と言っているのを聞いたことがあるし、筆者がFHNを訪問した際も、ファルゲル女史との話の中で筆者がハルプ・ファッハホッホシューレ(半専門大学)という表現を使うと、彼女も我が意を得たりとばかり、大笑いしたものである。
 しかし、この是非はともかく、本文をお読みくださった方には、ドイツにおける大学とFHとの関係が、日本における大学と高専との関係にかなり良く似ていることはお分かりいただけたと思う。今後、高専が自己改革をして行かねばならない時に、ドイツの専門大学についてのこの紹介文が何かのお役に立つことがあれば、筆者としては望外の喜びである。

参考文献

1) Studium in Deutschland…Informationen f@r Ausl@nder @ber das Studium an deutscen Fachhochschulen…5. Auflage 1996, DAAD

2) Studienf@hrer der Georg-Simon-Ohm-Fachhohschule N@rnberg 1997/98, Context-Verlag

3) Christian Bode: Kommentierte Grafiken zum deutschen Hochschul- und Forschungs-
system. 2. korrigierte Auflage 1996, Prestel,M@nchen

4) Nordbayerischer Kurier(Tageszeitung f@r Oberfranken)

 

   
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