これまでは、テキストの活字に翻字された部分を読んできました。こんどは、変体仮名そのものを読んでみることにしましょう。ところで、変体仮名とは何でしょうか。わたしたちが、現在普通に使っている平仮名は、明治33年(1900年)に小学校令施行規則で採用された平仮名です。それらと、字母やくずしかたを異にする平仮名を、変体仮名といいます。たとえば、「い」のかわりに「以」、「し」のかわりに「志」の草仮名を使います。いま、皆さんに配った「変体仮名一覧」を見て下さい。例えば、「け」や「す」に対する変体仮名は、五つもあります。平均的にみても、一つの平仮名に対して、三つぐらいの変体仮名があることが分かります。
それでは、「変体仮名一覧」を手元に置いて、変体仮名に取り組むことにしましょう。普通の学習の仕方では、先ず古い時代のものを学んでから新しいものを学ぶ、すなわち時代順に学習するのですが、ここではそれを逆にしてゆきたいと思います。
皆さんの手元に配布したプリントは、明治時代に刊行された巌谷漣山人編日本昔話第七編「舌切雀」(博文館)のある頁(ページ、図2)を抜き出したものです。
この中から、現在通行の平仮名の字体と明らかに違うものを探して見ましょう。二行目の「例の雀が聲をかけまして」の「か」、五行目の「どうも不思議でならないのさ」の「も」、五行目から六行目にかけての「アヽその糊ですか」の「そ」と「か」、六行目から七行目にかけての「それなら私がみんな頂いてしまひました」の「そ」と「し」がそうですね。これは簡単に指摘できましたね。他に、一番最後の行の「よ」のように、現代の平仮名と同じ字形ですが、多分変体仮名として使われているとおもわれる字がいくつかあります。この「舌切雀」の話は、皆さんがよくご存じのものですから、たとえ変体仮名で書かれていても、前後の続き具合から簡単に読みこなすことができます。活版印刷が始まってからも、しばらくの間変体仮名の活字が使われたということは、当時の人々がいかに変体仮名に愛着をもっていたかということを示しているといえるでしょう。このことは、桃山時代末期から江戸時代初期にかけて木活字を用いて本を印刷していたときでも、我々の祖先は、平安時代からの仮名の連綿を重んじて、一字一字の活字ばかりではなく、連綿の活字を作って使用したというのと、一脈相通じるものがあります。
さて、それではテキストの中から『ばけ物よめ入』を読んでみることにしましょう。この作品は、草双紙を内容によって分類した場合の祝儀物にあたり、その中でも『鼠のよめ入り』、『狐の嫁いり』などとおなじく、嫁入物ということができます。しかし、化け物が主人公になっているので、異類物ということもできるでしょう。
嫁入物は、仲人の来訪、見合い、嫁入り道具の準備、結納、婚礼の宴、石打ち、出産、宮参りなどの場面からなるのが普通です。
まず、一丁表仲人の来訪の場面から見て行きましょう。(以下、変体仮名を読んでいきます。) 茶釜が自分で湯を汲み、お盆に目や鼻、手や足がついています。器物は、古くなると化けるのです。首が長く、背の高い入道姿の妖怪が「みこし入道と申けいわんいしや」ですが、江戸時代の医者大和慶庵が好んで縁談の仲介をしたということから、仲人や奉公人の周旋を業とする口入れ屋のことをそのようにいいます。一丁裏・二丁表は、見合いの場面ですが、一つ目のところに、「これはてんとたまらぬ。めんていはろかうときています」とあります。「ろかう(路考)」は、歌舞伎の若女形の名優、二世瀬川菊之丞の俳名です。そういわれてよく見ると、この一つ目は、化け物ながら、なかなかの男前ですね。みこし(見越)入道が「いやおろく様、御出か」といっているのは、轆轤首からつけられた名前でしょう。二丁裏・三丁表は、嫁入り道具の準備です。それを見て、油なめの禿が「わしもけなりや、はやふよめりたい」といっています。「けなるい」とは、「羨ましい」という意味です。三丁裏・四丁表は、結納の品を持参した婿方の使者が口上を述べる場面です。四丁裏・五丁表は、嫁入り道具を運ぶところです。提灯や蝋燭の器物の化け物が登場します。器物が百年を経過すると、精霊が宿り、付喪神となるという俗信によった化け物です。五丁裏は、婚礼間近のおろくの化粧の場面です。乳母と二人だけでいるせいか、首が長くのびて、轆轤首の正体を現しています。六丁表は、婚礼の賄い方の場面です。六丁裏七丁表は、婚礼の宴会の場面です。
七丁裏・八丁表は、お床入りの場面です。花嫁が「わつちは又これ此やうにくびをぬき出してばけやんしよ」といっているのに対して、花婿が、「そなたのくびは、ありまふでのにんぎやうでくびのぬきさしがじゆうな事じや」といっていますが、「ありまふで」とは有馬温泉特産の筆で、軸を奇麗な色糸で巻き、手に取ると軸から小さい木の人形が出、置くと軸の中に引っ込む筆をいいます。八丁裏・九丁表は、石打ちの場面です。石打ちとは、婚礼の行列や、その家に向かって近隣の若者仲間などが石を投げつけることで、酒食を強要する手段でもありますが、祝いの習俗です。九丁裏・十丁表は出産の場面です。九丁裏で、とりあげうぶめばゝ(取り上げ姑獲鳥姿)が産湯をつかわしているのは、先に見た『桃太郎昔語』と同じですね。十丁表で、薬を煎じているてん平(天平)が「おろく様はさてくはやい事な。もし此子は御ぢさんではないかしらぬ」といっています。御持参とは、前もってお腹の中に赤ちゃんができていることをいいます。今も昔も変わりありませんね。さて、最後の十丁裏は、宮参りです。こうやって見てきますと、この作品は、嫁入物の草双紙の形式をしっかりと踏んでいることがよく分かります。
これを、変体仮名で読んだ皆さんの感想は、いかがでしたか。江戸時代の子供達が本当にこれらの作品を読んだのかと思うかも知れません。文化年間の式亭三馬作『浮世風呂』の子持ちの女性たちの風呂屋での会話に、「三番目の兄どのは又、合巻とやら申す草双帋が出るたびに買ますが、葛籠にしつかり溜りました。ヤレ豊国が能の、国貞が能のと、画工の名まで覚えまして、それはくは今の子どもは巧者な事でございますよ」とあるように、少し年長の子供ならば、十分に読みこなしていたようです。現代人の目から見て、内容的に子供向きでないと思われるものもありますが、それらの作品は、大人も読んだが、子供も読んだと考えられます。早くから大人の世界を垣間見せることによって、子供達の成長を促すという狙いがあったのでしょう。
子供向けの古い絵本は、読み終わると捨てられてしまうため、あまり残っていません。それでは、現存する最古の子供絵本は、どこにあるのでしょうか。なんと、私たちが住んでいる三重県にあるのです。松坂市射和町にあるお寺の地蔵の胎内に、親がなくなった子の供養のために奉納したものです。最後に、このことをお知らせして、草双紙に関するお話を終わります。
使用テキスト
近世文学研究「叢」の会編『初期草双紙集』(和泉書院・一九九三年)
参考文献
鈴木重三・木村八重子・中野三敏・肥田晧三『近世子どもの絵本集』(岩波書店・一九八五年)
岡本 勝・雲英末雄『近世文学研究事典』(桜楓社・昭和六一年)
小池正胤・叢の会編『江戸の絵本−初期草双紙集成』(国書刊行会・昭和六二年)
岡本 勝『子ども絵本の誕生』(弘文堂・昭和六三年)
丹 陽子『高等学校の古典学習における入門教材の開発−江戸時代の草双紙を活用して−』 (平成元年度東京都教員研究生研究報告書)
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