高専実践事例集U
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1996/7/20発行

   


  
こんな授業をやってみたい

   
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  1 いきいきした先生たち

 

 ●英語教師のハッタリ(26〜37P)

  我こそはクリストファーなり        菊池俊一   沼津工業高等専門学校助教授

     
   嘘つき教師は誰?
 
   

  春4月、緊張感漂う新人生の教室に一人の英語教師が入っていく。42名、84の瞳が一斉に教師に集中する。教師の方もまた緊張する一瞬である。学生にとって、高専での記念すべき英語授業の幕開けである。

“Good morning everyone.How are you? My mame is Christopher Kikuchi.I teach you English this year. I have been looking forward to seeing you.”

  クリストファー先生の誕生である。きょとんとした顔つきで学生達は皆教師を見つめる。さらに教師の話が続く。

“I may look like a Japanese,but l am American. I am very sorry l can not speak Japanese. Well,this is my first time to meet you,so let  me introduce myself and my family brieny. I was bornin New York in 1960. My father is American, and my mother is Japanese. When my mother was a student at Columbia University, my father was also a student of the same universty. Ihear my father fell in love with my mother when he saw her first. Then, they married. When l was 5 years old, I came to Tokyo with my father because he had to work at a company there, and l stayed there for one year. But unfortunately l had to go back to America to enter an elementary school. My mother was very glad when she saw me again. I have a sister named Cathy. She lives in London now. She studies European history at London Universty. I also have a brother named Peter. He is an engineer,living in Hong Kong......”

  顔は日本人なのに英語を聞いていればなんとなくアメリカ人のようにも見える、不思議そうな目をして学生達は教師を見つめている。その教師は実は生まれて一度もアメリカなどという国に行ったことがない。東北は岩手の片田舎で生まれ、中学校に入るまで外国人など見たこともない。父も母もれっきとした日本人である。この嘘つき教師が私である。

 

   嘘つきの始まり
   

 大学生の時、友人に散髪を頼んだ。私の頭を真上から見ていた友人は「菊地は上から見ると外人のようだ」と語った。髪の毛は黒ではなく、小さい頃から確かに薄茶色だった。良く言えばブロンドである。高校時代は生活指導の先生から髪を染めているとの疑いをよくかけられて困った。パーマをかけたわけでもないのになぜか髪の毛の先がクルクルとカールし、なおさら生活指導の先生から注意された。さらに私の目の色は日本人としては確かに色素が薄く、純粋な茶色ではない。鼻の造りが少し欧米風であることも事実だ。英語圏の子供によく見られるそばかすもある。こうして考えると確かに外人っぽい雰囲気がしないでもない。

 大学を卒業した春、東京都内の高校で教職に就いた。2校目の時、転機が訪れた。外国人講師とのティーム・ティーチングが予定されていたある時、交通渋滞のためその外国人講師は遅れることになった。私一人で教室に入ることになった。教室のドアを開ける直前、何か面白いことをやろうととっさに考えた。「外国人がいないのなら、自分が外国人になればいいのだ」と思った。まるで腹話術師が人形を操っているかのように、私は一人二役を演じ、授業の所々にその外国人講師を登場させた。女性としては少し低音であったその外国人講師の声と、よくメガネを上げ下げするしぐさをまねて英語を話したところ、漫才のような授業であったが、生徒の受けはよかった。授業の後で生徒が、「先生は外人になったらどうですか」と言ってくれた。それに気をよくした私は、翌年から本格的に生徒をだますことになる。だまし通して10年になる。ついには、「クリストファー先生」と言えば学校では知らない学生はいないほどになってしまった。

 

   さらに授業は続く
   

  新人生と同様、私も来たばかりという設定である。一通り私の自己紹介をし、アメリカの地図を黒板に大きく書き、よく引越しをしたことにして各地の説明をする。どこを転々としたことにするかはその年により異なる。自分の趣味、日本の印象を話し、どんな教科書を使い、どんなテストをするか等のガイダンスが終わる頃になると、日本語を一切使用しないためか、学生の緊張感がピークに達していることが伝わってくる。そこで今度は話題の中心を学生にもっていく。

Teacher:“Now,I would like to know your names. As l mentioned at the beginning of this lesson, I can not read almost all of Chinese  characters. Please teach me how to read your name.”

こう言いながら私は出席番号1番の学生に近づいて行く。私はアメリカ人ということなので、時には学生レベルを超えた英語表現をする必要がある。こっちに来るな、と言いたそうな学生の気持ちがよくわかる。

Teacher:“Well, may l ask your name?”
Student 1:“Ah…yes,my name is Yoich Aoki.”
Teacher:“Thank you. How do you do,Mr…A…o…ki…,right?”
Student 1:“Yes.”
Teacher:“0.K.Mr.Aoki,will you write your name on the blackboard?”

学生は黒板に「青木洋一」と自分の名前を書く。それを題材に話が進む。「青木」という姓の「青」の文字を指さし私が学生に問う。

Teacher:“Is this his family name?”
Student 2:“No.” Teacher:“Oh,I see.I thought this is his family name.Then which part of these four lettrs is his family name?”
Student 3:“Saisho no futatsu desu.”
Teacher:“Sorry,I can not understand Japanese. Will you explain in English?”
Student 3:“Two...kanji...desu...”
Teacher:“You mean these two letters?”
Student 3:“Yes,yes...”

何かをつたえるという役割を果たしたその学生はほっとした様子である。ここで再び「青木洋一」に鉾先が向けられる。自分がもう指名されるこてゃないと安心していた青木君がぎょっとする。

Teacher:“Mr.Aoki,can l ask you to write how to read these lettrs in  Romaji so that I can  pronounce  the letters  correctly?”
Aoki:“Ha?”
Teacher:“Please write how to read these letters in  Romaji for me.”

何を要求されているのかやっとわかった彼は、黒板に書いた自分の名前にローマ字で読み方を記す。別の学生をターゲットとして質問を浴びせかける。 Teacher:“Well, how do you say‘ao’in  English?” Student 4:“Blue.” Teacher:“Is he right?” Student 5:“Yes.” 少しは私も漢字が読めることをここいらで知らせておく必要がある。「青木」の「木」という漢字については次のような会話がなされる。

Teacher:“Oh,Ihave ever seen this letter before. This is ‘ki’,right?”
Student 6:“Yes.”
Teacher:“This letter looks like a book,doesn’it? Do you understand me?”
Student 6:“Ha? Nanno koto.”

ここで初めて私が漢字の「本」という文字を板書する。書き順は目茶苦茶である。「木」「本」が似ていることを私が言いたいのだと学生達は納得したような顔である。

Teacher:“Ki means ‘tree’in English,So,Mr. Aoki,you are Blue Tree in English.”

ここで授業開始から初めて教室内に笑いが起こる。ここで笑いが取れるかどうかが腕の見せ所である。学生達がリラックスしたところで、

Teacher:“Nice to meet you Aoki. Welcom to Numazu Kosen.”

そう言いながら出席番号1番の学生と握手する。次は出席番号2番の掌生に移る。一人一人話題にあげながら一人一人と握手して回るのである。

 

   教師は役者であれ
   

 私は教師は役者になる必要があると思っている。教室は私の舞台であり、研究室が私の楽屋である。しかし、楽屋にはあまり出入りしてほしくない時もある。演出に疲れてぐったりし、化粧を落とした素顔を見られたくないからである。まるで芸能人のようでもある。

 新入生の各教室とも4月当初は出席番号順に並ぶことになっている。「青井」「青山」「井上」「岩崎」等、特に出席番号1番の学生とのインターラクションが勝負のため、クラスの出席簿でよく確認をし、どこでどういう話題を出し、学生の誰をどのように取り上げるか、小道具を使う必要があるかどうか、服装はどうするかまで筋書きを考える。かなり計算され、演出され、作りだされた、まさに舞台演技になるわけである。日本では教室の外で英語を生活言語にすることはほとんどない。となれば、教室が勝負である。英語学習にふさわしい楽しい雰囲気を作りだし、可能な限り学生を英語に触れさせ、英語学習を継続させるよう動機づけることが教師の役割だと考える。

 私は新任の頃、「楽しい雰囲気」で英語を学ばせることのできない職場にいた。授業開始時に生徒が全員教室にいるかどうかから心配しなければならなかった。グループワークだの英問英答等は夢のまた夢の言語活動だった。私語ひとつ許さないピリピリするような雰囲気をいかにして教室内に作るか、また教師はいかに恐ろしい存在であるかを生徒に知らしめなければならなかった。生徒指導部に所属していたこともあり、なおさら「恐ろしい先生」であることを私は要求された。手段は何でも許された。そうした職場の雰囲気に純粋培養された私は、英語科の教師というより、むしろ生活指導の教師であった。結果として、当時の生徒には英語を学ぶことの楽しさを体験させることができなかった。私の力量不足だったと後悔している。そうした学校であればなおさらのこと、役者になるべきだったのかもしれない。高専の場合、比較的学力は安定しているし、学生の人柄にも救われていると言える。

 

   だまされた
   

 一人一人の学生と握手し、最後の学生との対話が終り教室の前に戻って来る頃には、授業の残り時間がわずかになっている。そろそろ化けの皮をはがさなくてはならない。

Teacher:“All right, thank you for introducing your names to me.I will try to remember your names and your faces as soon as possible. Well, we are running out of time. Now,everyone,I have something to tell you......”

 こう言ってニタッと私は不気味な徴笑みを浮かべる。学生達はまだ何かあるのかと思っている。 「実は私はアメリカ人じゃないんですよ。正真正銘の日本人なんですよ」

 さっきまで英語しか話せなかったはずの人間が、目の前で日本語を話した。何が起こったのか、呆然としている学生達である。ほとんどがぎょっとした顔つきで私を見つめている。 「えへへ、みんなだまされたようですね。わっはっは」真相を知り、学生達が騒ぎだす。

 「うっそ−」、「やられたよ」、「そんな−」 まるで魔法から解けたかのようなその時の表情が、見ていて私には実に愉快であり、快感でもあり、だから癖になってしまうのである。

 例年クラスの85%は私をアメリカ人だと信じる。授業開始の前に寮の上級生からすでに私のことを伝授されている学生も数名いる。また私のちょっとしたしぐさや英語の間違い等から、ネイティブにしてはおかしいと見抜いている鋭い学生も何人かいる。海外帰国子女がいるとの事前情報がないままに演技をしていた年もあり、冷汗ものであった。新入生のクラス担任を受け持つ年は、授業開始の前にオリエンテーションでどうしても日本語を使用せざるをえず、私の正体がすでにばれてしまうというやりにくい時もある。そんな年でも、担任しているクラス以外のせめて新入生のどこかのひとクラスだけでも強引に押し通すことにしている。

 

    日々の自己研修
   

 私の一日は、早朝のラジオ英会話をふとんの中で聞くことから始まる。テキストもなく、ほとんど聞き流しである。大学時代お世話になった先生の声がラジオから流れている。起きてからは、朝食をとりながら衛星放送のBBCニュースをテレビで見る。通勤手段は自転車である。目に入るあらゆる現象を英語でつぶやきながらペダルをこぐ。野良猫や電線の鳥にまで英語で語りかける。ある時は英国詩人のような高貴な気分で田園地帯を走るかと思えば、ある時は寝坊して遅刻しそうになり、信号無視すれすれで自称ナナハンを暴走させることもある。

 職場では必ずしも教科指導だけに専念できないが、せめて昼休みだけでもと思い、テレビの東京12チャンネルが平日の昼に放送している映画を英語で見ている。タ方は平日に教育テレビで放送されている「ブロッサム」「ツイスト」「フルハウス」「ラルフ」「ドギー」の日替わり番組を英語で見る。登場人物に子供が多く、学生用に録画することもある。帰宅してからは食事をしながら7時のNHKニュースを英語で見る。1日のまとめとして夜11時35分からの衛星放送BS7の「Today’s Japan」を英語で見る。キャスターが素敵で、英語も聞きやすい。寝る時は英語のカセットテープを流したままで寝ている。

 読書面では「英語教育」「現代英語教育」「English Journal」「時事英語研究」「英語青年」を毎月購読し、News Week,Times,Mini-Worldの英文雑誌にも目を通している。時間が許す範囲で英字新聞にも目を通すことにしている。土曜、日曜にはテレビの「セサミストリート」が加わり、映画もよく見る。東京時代はFar East Networkの放送が訓練の中心だった。他人から見て息苦しいほどの生活も、本人はけっこう楽しんでいる。

 これほど英語潰けの生活を送っていても、いわゆる英語業界の3種の神器と言われる「英検一級」「トウフル620点」「通訳ガイド」は残念ながらどれも取得していないし、これだけ勉強してもまだ追いつけない先輩方が今の職場にいる。つまりは個人の趣味の段階を越えていないのであろうと思われる。それでも、限りなくネイティブに近い発音をするための努力はしているつもりである。学生にとって発音のきれいな先生は魅力なようである。

 かつて都立高校勤務の頃、東京都主催の高校生英語スピーチコンテストが毎年開催されていた。ある年、審査員の一人であった早稲田大学の先生が講評を英語で話された。とてもきれいな発音だった。コンテストの後の懇親会の席で、その先生は生まれて一度も海外に出られた経験がないことがわかった。「たとえ海外に出たことがなくても、心掛けしだいで英語の発音がこれだけきれいに身につくことを、学生に示したいのです。私は一生海外に出るつもりはありません。日本人でもこれだけできることを外国人に見せたいのですよ」

 その先生の強情なまでのその信念に感動し、私もそうありたいと思った。

 学年末に授業の感想文を書かせた。 「いきなり英語で授業が始まったので高専はレベルが高いと思った」 「すっかりアメリカ人だと思い込んでしまった」 「授業では英語だけしか使えないのでもっと英語を勉強しておくべきだったと思った」 「ずっとアメリカ人で通してほしかった」 という反応である。

 彼らは、1年前の私との出会いを鮮明に覚えている。私の投じた第一球は手ごたえ十分だった。彼らが次の時間を期待していることがひしひしと伝わってくる。私はその期待に応えなければならない。そのための努力は大変であるが、私なりに応えているつもりである。 新天地を求め、やるき満々で人学してきた学生達の、あの澄みきった目を曇らせないために、私の教授法はささやかながら役に立っていると思っている。

 

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