工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1996/7/20発行

 
   
menu
 

U もっと知りたい
 
3 解説最新情報

 

 ●最新文教ニュース(238〜247P)

  教科書が変わった           村上旦生  文部省初等中等教育局主任教科書調査官・(併)視学官

     
 

  高専の歴史担当教師の苦慮することの一つに教科書選択がある。大学教養課程の教科書、高専教師執筆の高専用教科書、そして高等学校用のそれを前にして、その選択に悩むのである。しかし、歴史の授業を受ける学生が、高校生と同一年令で、しかも彼等にとって図版や写真の多い教科書の方が学習効果があると考え、高等学校用教科書を使う場合が多いであろう。この数年、教科書は内容、形態ともに変化が著しい。それはなぜか。本稿では高等学校世界史教科書を例に、その変化とそれをもたらした背景について私見を述べてみたい。

 

   世界史Aの登場
 

 世界史教科書は、平成元年の高等学校学習指導要領の改訂に伴い、現在標準単位数二単位用・世界史A九種と同四単位用・世界史B一八種の合計二七種が発行されている。従前の学習指導要領の下では、世界史は標準単位数は四単位であり、二〇種発行されていた。
先に世界史Bについて触れる。これは近現代史までの歴史は東アジア、南アジア、西アジア、ヨ−ロッパの各文化圏ごとにまとめて学習するよう構成されている。近現代史は、資本主義経済が世界体制として発展していく過程、それへの対抗軸としての社会主義体制の成立・発展、アジア・アフリカ諸国の民族運動と独立、それにアメリカ合衆国とアメリカ文明、などが主要な柱となっている。教科書の記述傾向をみると、生徒の歴史に対する興味・関心を起こさせるため、主題学習として歴史事象の解説に力を入れているものもある。例えば「ギリシア・ロ−マの女性」「十字軍」「奴隷貿易」「パレスチナ問題」「アパルトヘイト」「石油問題」などの記述はかなり詳しい。しかし、多くの教科書は、現代史部分がやや増えているとしても基本的には従前の世界史教科書のように専門用語も多く知識中心主義であるといえよう。「教科書が変わった」という表題にそいうるのは、世界史Aの登場である。これは、内容・構成に学習指導要領の縛りがあるとしても、どの教科書もかなり個性的な記述になっている。

   世界史Aの特色
   山世界史Aは、世界の歴史の流れを近現代史中心に理解させようとするものである。学習指導要領では、世界史Aは四つの大項目から成っているが、そのうち二つ、「一九世紀の世界の形成と展開」「現代世界と日本」が近現代史部分である。前者では、一九世紀以後の「ヨ−ロッパによる世界支配、世界の一体化過程」と「それに対するアジアの対応」を柱として、「現代世界の形成過程」の理解が目ざされている。後者では、「地球的規模で一体化した現代世界の歴史」の理解を通して、現代の歴史的課題を考察させようとする。具体的には、二つの世界大戦と世界平和秩序の構築、アメリカ合衆国とソ連邦の歴史的役割、アジア・アフリカ諸国を中心とする民族主義・民族独立の問題、現代文明の中での科学技術の発展の意義が主要な柱といえる。
教科書は近現代史をどの歴史事象をもって記述し始めているだろうか。アメリカ独立革命から始めて次にフランス革命に及び、市民社会の原理の理解を求めるものが圧倒的に多い。しかし、一九世紀を、資本主義の成立・世界体制への発展過程と捉えてイギリスの産業革命から始めるものもある。これは学習指導要領の理解に著者達の幅があるからであり、同時にその歴史観が投影しているからであろう。そのことによって教科書に個性がでてくる。一九世紀に関しては、一八四八年革命や清帝国を中心とした東アジアの変容などに最近の研究成果が取り入れられている。またイギリスの植民地支配をインド大反乱を通して検討するなど興味深い記述が多い。二〇世紀関しては、アメリカ合衆国について、その歴史的発展の記述に留まらず大衆社会を考える視点をもたせる工夫がある。また、ソ連邦と社会主義の歴史、世界各地の民族運動、ファシズムについてまとまった理解がえられるよう配慮がされている。教科書の個性は、ある時代をどういう視角から見るかによくでている。例えば、帝国主義時代について。レ−ニンだけでなくセシル・ロ−ズ、ガンディ−などの発言をもとに帝国主義の問題を考えるもの、一九世紀後半からの英仏独などヨ−ロッパ諸国の勢力拡大を「新帝国」の形成という視点で捉え、それらとロシア、アメリカ、日本の植民地獲得・支配を記述するもの、帝国主義各国の植民地支配に対する抵抗に詳しいもの、また世紀末のヨ−ロッパが外に向かった背景として独占資本の膨張と民衆の移民という視点を取り入れたり、大量消費社会との関連で論じるなど工夫がこらされている。そして、どの教科書もこの近現代史部分に教科書全体の約三分の二のペ−ジ数をあてている。

 

   前近代史について
 

 近現代史の理解には、前近代史の知識を欠くことは出来ない。これについても学習指導要領には二つの大項目がある。「文明の成立とその発展、世界諸地域の文化的特色」の理解と、「諸文明の接触と交流の歴史」を幾つかの世紀に限って考察することが求められている。前者では、東アジア、南アジア、西アジア、ヨ−ロッパ各地域の文明を、それぞれ儒教、仏教、イスラム教、キリスト教を手がかりに理解を求める。当該部分については、どの教科書も丁寧な記述と工夫がなされ生徒に興味を起こさせる構成となっている。後者は、五つの項目(二、八、一三、一六、一七・一八世紀の世界)を設定し、そのうち二つ程度を学習することになっている。この部分の教科書の記述ぶりは、地図・図版を中心にその時代を大観的にまとめたもの、東アジア・ヨ−ロッパの歴史過程と東西交流を比較的詳細に記述するものなど、種類毎に相当の違いがある。ところでこの部分は、生徒にそれぞれの時代の「世界の全体像」を理解させる格好の教材であるが、教育現場では、どの項目を選択すべきか、また通史的把握が切断されるために、それぞれの世界の全体像をはたして十分に理解させうるかなど悩むかもしれない。

 

   世界史Aの選択
 

 世界史は必修科目となっている。これは今日、いわゆる「国際化」が社会の変化を示す指標の一つとされるが、そのことに対応して生徒に他国の文化や世界の歴史についての知識・理解を持たせることが求められているからである。各高校は、生徒の実態や学科の特色等に応じて世界史AかBを生徒に履修させる。平成八年度には、世界史Aは八〇万余、Bは九〇万弱の教科書需要がある。世界史Aは専門高校に多いと思われるが、普通高校でも近現代史学習重視の観点からこれを履修させるところがあり、中にはそれから世界史B・日本史Bへすすむところもある。世界史Aの教科書は図版が多く、また生徒が世界史学習の際あげる難点、つまり人名・地名・事項の多いこと、がかなり抑えられている。しかも人物・事項もそれについての立ち入った解説を付けるなど、個々の歴史事象を深く考察させようとの工夫がある。

 新教科書検定制度

 世界史Aに留まらず、各教科書とも個性的になっていると評価されている。その背景には著者達の努力は勿論であるが、新教科書検定制度によるところもある。毎年七月になると、前年度の教科書検定の結果についてのマスコミ報道がある。報道内容は、教科書著者の当初の記述が検定によってどのように変化したか、その変化した内容とそのことの評価、時代相を反映した内容事例の紹介、検定制度の功罪論など多岐にわたる。そして検定制度を含めて教科書問題を論じる際の考察事例とされるのが社会科や国語科である場合が多い。読者、視聴者の関心がこの両教科に多く集中している以上、それらが報道対象の中心とされるのは止むを得ぬことであろう。
教科書検定制度は、教科書の著作・編集を民間に委ねることにより、著作者の創意工夫に期待するとともに、検定を行うことにより、適切な教科書を確保することをねらいとして設けられている、とされる。現在の教科書検定は、昭和六二(一九八七)年の臨時教育審議会の第三次答申を受けて、平成元(一九八九)年四月、検定規則・検定基準が全面改正され、翌年から実施された新制度に基づいて行われている。答申は教科書の質的向上、創意工夫の促進を求めるとともに個性豊かで多様の教科書の発行を強く求め、さらに具体的には、1著作・編集機能の向上と責任体制の確立、2検定は教科書としての適格性の判定に重点を置くこと、3検定基準の重点化・簡素化、4検定審査過程の簡略化、5検定の公開などの提言を行った。それを受けて新制度が始まる(下図参照のこと)。

新 旧 検 定 手 続 き の フ ロ ー チ ャ ー ト
<従前の審査手続>
┌───────────────────────┐
┌─ │ 申 請 (原稿本提出) │
│ └───────────────────────┘
│ ↓
│ ┌──────────────────┐
原稿本審査 │ │ 審 議 会 に よ る 審 査 │
│ └──────────────────┘
│ ↓ ↓ ↓
│ ┌──────┐ ┌──────────┐ ┌──────┐
└─ │ 合 格 │ │ 条 件 付 合 格 │ │ 検定不合格 │
└──┬────┘ └──────────┘ └──────┘
│ ↓
│ ┌──────────┐
│ │ 修正・改善意見伝達 │
│ └──────────┘
│ ↓
┌─ │ ┌──────────────┐
│ │ │ 内 閲 本 提 出 │
│ │ └──────────────┘
内閲本審査 │ │ ↓
│ │ ┌──────────────┐
└─ │ │ 内 閲 本 審 査 終 了 │
│ └──────────────┘
│ ↓←
┌─ ┌──┴─────────────────────┐
│ │ 見 本 本 提 出 │
│ └───────────────────────┘
見本本審査 │ ↓
│ ┌───────────────────────┐
└─ │ 検 定 決 定 │
└───────────────────────┘

<現行の審査手続き>
┌───────────────────────┐
┌─ │ 申 請 │
│ └───────────────────────┘
│ ↓
│ ┌─────────────────────┐
│ │ 審 議 会 に よ る 審 査 │
│ └────────────────┬─────┬─┘
│ ↓ │ │
│ (決定の留保) │ │
│ ↓ │ │
│ ┌──────────┐ │ │
│ │ 検定意見の通知 │ │ │
│ └──────────┘ │ │
申請図書の審査│ ↓ │ │
│ ┌──────────┐ │ │
│ │ 修正表の提出 │ │ │
│ └──────────┘ │ │
│ ↓ │ │
│ ┌───────────────┐ │ │
│ │ 審 議 会 に よ る 再 審 査 ├─┼──┐ │
│ └──────┬──────────┘ │ │ │
│ │ │ │ │
│ │ ┌──┘ │ │
│ │ │ │ │
│ ┌──────┴─────────┴──┐ ┌──┴───┴──┐
└─ │ 検 定 決 定 │ │ 検定不合格 │
└────────────────┘ └──────┘

 新制度の特色

 新制度の特色の第一は、審議会(教科用図書検定審議会)重視が打出されたことにある。旧制度では、原稿本、内閲本、見本本、の三段階審査が行われ、審議会は原稿本審査に関与し、合否を判定する。その殆どは「条件付合格」となり検定意見が構成される。そして検定意見に沿って修正された内閲本の記述をめぐって著者・出版社側と教科書調査官との間で「内閲調整」が行われた。この調整の段階で、教科書調査官が「書かせる検定」を行っているとか、或いはまた「密室検定」が行われているとの批判を行う人がいた。
新制度では、この三段階審査を申請図書審査に一本化し、簡素化した。審議会で直ちに合格の結論のでるものを除き、修正すべき箇所があるとされたものは「決定の留保」とされ、その箇所は、検定意見として教科書調査官を通して著者・出版社側に伝えられ修正が施される。その修正状況が再度審議会で審議され、合否の結論がでることになる。
第二は検定意見の一本化である。旧制度では、検定意見には、書き直し等従う義務のある「修正意見」と、手直し等が望ましいとされるが強制力のない「改善意見」があった。新制度では、これを一本化した。よりよい教科書にとの趣旨で出される色々な改善意見が、検定審査が細部にわたりすぎるとの批判を生んでいたので、新制度では「欠陥」のみを指摘する。従って、拘束力のある「検定意見」に一本化した。その結果、検定意見数は激減し、重点化・簡素化が進んだ。
 例えば、平成四年度の地理歴史科・公民科(従来の社会科)の平均意見数は五五であり、昭和六一年度の旧制度下の意見数の約四分の一(二三・四%)となっている。この傾向は、平成五年度の検定でもいえる。
第三の特色として検定結果の公表があげられる。平成三年度から申請図書と検定合格し印刷されれた見本の双方が公表されている。平成六年度からは東京を含め六ヵ所、七−九月に行われている。平成七年度には全国で約一一〇〇人余りの利用者があった。
新教科書検定制度は、個性豊かで多様な教科書の発行を、という臨教審の提言に応えようとするものである。しかし、提言は、制度の変更や教科書発行関係者の努力だけでは十分な成果をあげることはできない。現実には教科書から個性を奪う機会は多いからである。一例を世界史Aにとると、それが、大学入試に対応しようとして細かい記述を増やすなら、広い視野から世界を眺める立場を弱め、生徒の世界史を学ぶ楽しみを失わせるかもしれない。

 最後に

 平成六(一九九四)年十月十日の毎日新聞社説「アジアと日本人」は、日本の植民地時代の台湾に生まれ、台湾、日本で教育を受け、中華人民共和国成立後中国大陸で活躍し、今沖縄大学で教鞭をとっている郭承敏教授が、日本の若者が過去百年の日本の歴史について、殆ど何も教えられてきていないと驚いていることを紹介し、そしてアジアとの共生を言う日本は、自分たちの過去を知る必要があり、それはアジアの人々との歴史認識の共有の努力を出発点として始めるべきもの、と主張している。この社説を含め、現在の歴史教育、特に近現代史教育の不十分さへの批判が、この数年内外から数多く提起され、歴史教育担当者の反省を迫っている。勿論、どの程度教育すれば十分といえるのか、小学校ではとにかく、中学校ではおおよそのことは学んでいるはず等の反論も出てこよう。意欲があれば、七月八月のマスコミ報道からだけでも、日本の過去についてかなり知ることができる。批判は謙虚に受けとめねばならないが、同時に、若者の中に学校で教わらなければ知らなくて当然とする傾向があるとすれば、残念である。
近現代史の、特にアジアのそれについての知識は、将来海外で活躍する機会の多い高専の学生にとって必須であろう。その学生達に歴史を講ずる教師諸氏に、世界史教科書の変化はどのように評価されるであろうか。

(参考文献)
上口孝之「新制度下の検定を振り返って」(財団法人教科書研究センタ−「センタ−通信」第 六七号、一九九四年十月)
 文部省初等中等教育局「教科書制度の概要」(平成七年三月)

 
  UP ↑
  menu