高専実践事例集
工藤圭章編
高等専門学校教育方法改善プロジェクト
1994/03/24発行

   


  
こんな授業を待っていた

   
menu
 

U 一般科目は魅力がいっぱい

 

 ●座談会(239〜294P)

  一般科目は魅力がいっぱい      平成5年7月21日
                  
工藤 圭章   沼津工業高等専門学校校長
                  藤枝 孝善   沼津工業高等専門学校教授
                  田畑  勉   群馬工業高等専門学校教授
                  鈴木 邦彦   沼津工業高等専門学校教授
                  久松 俊一   木更津工業高等専門学校助教授

司会(藤枝)  二日間にわたる協議の後で大変恐縮ですが、気分を変えていただいて、引き続き「一般科目は魅力がいっぱい」というテーマでお話合いをしていただきたいと思います。もちろん、二日間の協議と重複するところが出ると思いますが、それは全然構いませんので、どうぞ、気にせずにお話をしていただきたいと思います。
 それでは、校長先生のほうから、一般科目についての期待といいますか、あるいは、一般科目というものをどのように考えておられるのか、そこら辺からお話をしていただきたいと思います。

 

   基礎・基本を培う
 
   

工藤 いま、司会の方から言われたことについてですが、まず、これはよく言われることですが、高専の卒業生は、一般教養が少し落ちる。特に国語とか、英語が落ちる、という話があります。確かに大学と比較すると、物理的に一般教養の時間が少ないですから、それは事実として受け止められると思うんです。
 今は私どもの所は一、二年生の全寮制度を取っておりますけれども、私が聞いた話では、最初、高専が昭和37年にできたときには、当時の校長先生方は、ほとんど旧制高校を経験して、それで大学に進まれた方々でした。寮生活というのを皆さんが経験して、それがかなり頭の中に強く残っていて、寮でそういう教養的なものが身につきました。
 旧制高校生は、私も最後に近い方の旧制高校ですが、要するにいろいろな本を読んだですね。私は、理科甲類だったですけど、あのころに読んだのは『三太郎の日記』だとか、『ツァラトゥストラはかく語りき』だとか、西田さんの『善の研究』だとか、中身はあまりよく理解できなくても、手当たり次第に読んだという感じがしますね。ですから、そういうようなことを、最初の高専の校長先生方は考えていたようですね。
 けれども、現代の学生気質というか、今でも私どもの所では全寮制をやってるけれども、なかな
か皆さん方は本を読んでおらず、むしろ、活字離れしている。そういう現状では、やはり、ある程度、一般科目を学生たちに印象に残るようにやる必要があるんじゃないでしょうか。即戦力の実践的技術者というのは、専門教育だけではなしに、一般教育の面でも、読書することによって自己教育できるようにしてあげられたらいいんじゃないかな。そういういう感じがしております。
 あらゆることの基礎になるのは、そういう意味では一般科目ですから、やはり、まず少年期を脱して、青年期に向かうその間に、ある程度、一般教養を高めるための一般教科というのは、是非とも覚えておかないといけないというのがありますんで、それだけは是非とも教え込んでおきたい。ある程度がわかれば、あとは自分で勉強すればいいことであって、ただ、基礎的な、基本的なことだけは覚えておいたらという感じがしますがね。

司会 ハイ、ありがとうごさいます。今の校長先生のお話を聞いて、類似したことをお考えだと思いますが、自由にそのことについてお考えを述べてください。田畑先生どうですか。

田畑 そうですね。急にいわれると困るんですけど、基礎的、基本的なことという、今、工藤校長が言われましたことに全く賛成なんです。ただ、私たち一般科目の教師にとって、基礎的、基本的というのは何かということを考える必要があるだろうと考えております。私は、特に、一般科目がめざす、基礎的・基本的なものを、今まで同じ学齢であるがために、高等学校の生徒が学び持つ知識というふうに捉えがちなところがあったのではないか、という気がするんですね。そうした実情に対し、かなり以前から、私はそうではないのではないかと考えてきました。
 つまり高専の場合の、基礎的、基本的というのは、高等学校の生徒が、その時期に、身に付けるような同じ知識の量を指すのではなく、5年間という限られた期間の中で、身につけねばならない、例えば、色々な物の捉え方、考え方を涵養するような内容にあるのではないかということです。
 ある程度、物の捉え方、考え方とかいうようなものを養う訓練ができていれば、少々の知識量の不足があっても、また社会人としても、技術者としても十分にやっていけるのではないでしょうか。それをただ単に知識の量を身に付けることのみ汲々とするということになりますと、高専の場合は、否応なく大学受験を体験し、突破した者とくらべ、歴然たる差になることは明らかなはずです。ですから、繰り返しになり恐縮ですが、とても競争にならないような知識の量を追い求めるのではなく、物の捉え方、考え方を養うことができるような内容を重視する、それこそが、本来、基礎的・基本的なものであり、高専の一般科目がしなければならない、また、できることではないでしょうか。

司会 そうですね。教育の目標には、そのものズバリを理解する実質的陶冶の目標と、物の見方や感性を培う形式的陶冶の目標という二つの目標がありますけれども、それらは、当然、教材の展開を通して訓練していくわけですね。
 そこら辺の、これだけのことは是非身に付けておいて欲しいという、そういう点に関しては人によってかなりのひらきがあると思うんですが、その辺のことで感じておられることなどを出してもらえたら、話がもっと深められるかと思います。

鈴木 最近、スウェーデンからお客さんがあったんです。それは、日本で言えば電気屋さんなんです。スウェーデンでテレビの修理をしたりというような仕事をしている人なんですけど、奥さんが日本人で、その奥さんに連れられてうちへ見えたんです。その電気屋さんと話をしていますと、日本の電気屋さんというイメージと全然違うんですね。日本の電気屋さんというのは、ただ電気屋さんとしての仕事だけをしている、修理だけをする、それで手いっぱいという感じですね。
 ところが、そのスウェーデンから来た電気屋さんというのは、電気屋さんという感じがしないのです。本当に知識人なんです。人間なんです。人間が、ある一部でもって電気屋さんの仕事をして、そして電気の仕事をして、お金を稼いでいるわけです。それが、僕には非常にショックだったんです。
 高専教育が、工藤校長がさっきおっしゃったように実践的技術者を育てるというふうに規定されているということなんですけれども、実践的技術者というのは、その電気屋さんプラス人間の、人 間の面を落としちゃっているような言い方のように僕は感じたわけですが、そういう意味で、午前中の会議で久松先生の論文の中にあった、「テクノロジカル・ヒューマニスト」という言葉に僕はうんと引かれました。テクノロジカル・ヒューマニストという、「ヒューマニスト」という面を、高専でもやっぱり担っていかなくちゃいけないんじゃないか、そういう感じがするわけです。高専においてもしっかり一般教育をしなくちゃいけないという理由がそこにあると思うんですね。
 そういう意味で、校長先生は、「ミニマムエッセンス」ということをいわれ、それを教えなくちゃいけないと。これはもちろんのことで、例えば、漢字を知らない人なんていうのはどうしようもないわけだから、そういったことを教える。と同時に、コンテンポラリーとして、電気屋さんの中だけで生きていく人間じゃなくて、政治家とも話ができて、学者とも話ができるような人間を創りたい。そこの部分を、やっぱり高専の一般教育というのは、もっと、もっと補完していかなくちゃいけないんじゃないかなと思いました。

 

   創造性を養う
    久松 高専の場合、基本的には5年間で、一応社会に出て技術者としてやっていけるということ目標にしていますので、そういう意味ではある種の完成教育と言っていいかと思うんです。けれども先ほど校長先生の方から、実践的技術者という話がありましたが、この数年間、専門の先生も含めて、これからの技術者というのはどうあるべきかということの議論が結構出てくるようになったんですね。そのときに、いま専門の電気工学とか、機械工学とかありますけれども、その専門の先生方が異口同音に、とにかく創造的技術者、クリエイティブな技術者というのがこれからは必要になるというふうなことをおっしゃる。これは、いまやはやり言葉になっているくらい工学系、技術系の大学や高専を含めまして、創造的、創造的ということを言うようになりました。創造的というようになったんですけど、ただその創造的というのを口で言うのはやさしいけれども、何が創造的なのか、クリエイティブなのかということについては、ほとんど語り合うことがないというか、そこから突っ込んだ議論をしたことがない、聞いたことがないわけです。
 実は、創造的というふうにお題目のように唱えれば創造的になるわけではなくて、やっぱり、いちばん基本の所は、例えば、ここが一般教育のいちばん重要な役割だと思うんですが、技術者がいわゆるその専門の領域だけの知識と経験だけでやっていくことが、これからの技術の発展につながるのかということではないでしょうか。他人から言われたことはできるけれども、自分で物事を発見したり、解決したりというふうな能力は培われないと思うんですね。
 これはかつて鶴見和子さんが言っていたのですが、創造性というのは異質なものがぶっかるところから生まれてくるものではないでしょうか。そういう意味から言えば、異質なものを異質なものとしてとにかくお互いがぶっかっていくというか、高専の中の教育の場で言えば、専門の領域と異質であるような、例えば、社会とか、人間とか、あるいは違った文化、というものとぶっかることを経験できるようなことが、本当に創造性というものが培われる土壌になっていくんではないか。あるいは、それを言い換えれば、個性というふうに言ってもいいかもしれませんけれども、そういうものを作り上げていくことになるかもしれません。そういうふうに思いますね。
 その意味から言えば、とりわけ、文系の大学とかそういう高等教育とは違って、技術系、あるいは工学系の学生にとっての一般教育、とりわけ人文・社会系の持っている意味というのは、極めて大きいというふうに僕は思っているんですけどね。
 先ほど鈴木先生もおっしゃってたんですけれども、やはり、そこに一つの人格としての統合性というものがなければ、もうちょっと言い換えれば、主体性といいますか、そういうものがなければ、そうした異質なものを異質なものとして捉えて、また、それとぶっかったりしながらやっていくような姿勢というのは生まれてこないように思います。その意味では、その辺りに、高専の一般教育の大きな役割があるのではないかな、というふうに思ってるんですけど。ちょっと、話がずれたかもしれません。

 

 総合化によって
工藤 いま、クリエイティブなという、創造的という言葉が出ましたが、最近は、高専卒業生にとって実践的技術者という言葉ははやらないという声があるんですね。私は言葉の遊びじゃないかなという感じがしましてね。それはなぜかというと、いわゆる専修学校の各種専門学校ですね、その専門学校が謳い文句にしているのが、実践的技術者の育成、養成ということになってるんです。高専はそれとは違うんだというんです。だからというんで、創造的とかの言葉がでてくるのです。
 その一つには、高専は、いわゆる専修学校とは違うんだということと、でも、ほんとの話、実践的技術者というのが何が悪いんだという感じがしますけども、やっぱり、違うアイデンティティというものを求めて、そういう言葉が出てきたんでしょうけども、まー言葉はどうでもいいけども、やっぱり、さっきいった、鈴木さんのおっしゃったミニマムなところでね、どうしても覚えておかないといけない、必要なものというのはあると思うんですね。
 それと先ほど私は、修学期間が大学に比べて短いということを申し上げましたが、もう一つは、こういうことを申し上げると、ちょっと先生方に反発があるかもしれませんけども、なんか高専の一般教育は、先生方が一人二役、ないしは一人三役的なことをやらされているという、そういう感じがするんですね。ですから、かなり多面的にわたっていろんな先生方が教えておられる。例えば、歴史は一人とか、地理は一人とか、というと当然歴史の中で考えてみたらいろいろな分野があるわけですね。日本史があり、東洋史があり、世界史がありと。だけども、学外から講師を招いて、それをカバーすることができるかもしれないけども、現実に授業以外に学生を指導するというのは、ちょっと外来講師にお任せするわけにもいかないし、そういう意味では、高専の学生たちが、必ずしも恵まれた環境にはないんじゃないかと、そういう感じがするわけですね。
 それから、一つには一般教養というのは、時間が少ないということと、いろいろな分野の先生方が接触して話し合える機会が少ない、そういうこともやっぱりあるんじゃないかと思うんですね。
 それで、現実に今回こういうような話になったのは、「人文科学・社会科学の総合化」ということが、プロジェクトテーマとして取り上げられたからです。この総合化という問題は、古くて新しい問題で、実に、昭和51年のときに、単位制ができたときも同じことが言われているわけですね。それでまた、各高専でいろいろ試みられるように確かになっています。事実、いま申し上げたように、先生方が一人二役から三役をやっているから、言うならば、お一人ひとりの先生で、ある程度の総合化を自分の教科の中に持ち込んでいくという、そういうこともあるわけです。
 そういう意味で考えると、やっぱり一般教科については、それぞれ特色のあるという授業というのを、私は結構一般の先生方がおやりになっているんじゃないか、そういうような感じがするわけですけどね。オールラウンドでなくても、ご自分の専門を生かして教えていただけば、それが、また自分でもう少しほかのことを考えるときの手段としては十分できるはずですからね。ただ、こういうこともあるぞということで、視野を広げるということは大切だけれども、それを全部自分のものにしてなければいけないという、そういうことはないんじゃないかというそういう気がするんですけどね。

 

 こっちを向かせる
司会 一般科目というのは、結構、面白いんじゃないか、そういう科目だと思うんですね。その展開の仕方によっては、結構まあ魅力があると思うんですけども。というのは、教師自身が面白い経験をさせるというか、ただ、奇を衒うんじゃなくてですね、学生が、何というか、物の考え方とか、本質の発見とか、そういうところへ至るのに、高専ではすぐエッセンスを教え込むということをしなくても、面白い材料をぶっけることで、学生自身がそういう面白い体験をしながらですね、ゆっくり学んでいくというか、十分な時間を取って教えられる、そんなに急がなくてもいい、そういう環境にあると思うんですね。
 こうした経験は皆が持っているんだけれども、ただそういうものを紹介し合う場に欠けているし、それから、これは高専に限ったことではないけど、お互いのやっているものを認めることを潔しとしない、というとおかしいかもしれませんけど、何かそういうものを取り入れるチャンスが少ないという部分があると思うんですね。そういう点では、今回のような、いくつかの学校が集まってくる、それから、いくつかの教科にまたがって集まってくると、勉強になると思うんです。一人ひとりは結構実践家であり、そういうことに対して一つのものをもってると思うんですけど、そういうものを出し合うとか、発表し合うとか、ということを実現させれば、これは、ものすごく面白いものをお互いに共有することができるなと思うんですけども。
 田畑先生は、授業の準備をされる段階から、学生に楽しい経験をさせる、あるいは、学生を満足させるという、そういうことをいちばんなさっていらっしゃる方じゃないかと思うんですけど、先生が、そういう日ごろの授業と取り組んでいるポリシーといいますか、考え方みたいなことを紹介していただけますか。

田畑 そんな特別なものはありません。なにかあるとすれぱ、世界史の分野ではちょっと難しいですが、日本史の分野では、新聞やテレビで報道された、例えば、発掘で珍しい物が見つかったというような目新しいものを、なるべく講義のなかに取り込んでいくことでしょうか。その日に予定する講義と関係なくても、少し時間をさいて、すでに終わっている講義と関係することであれば思い出させながら解説し、逆にこれからの講義と関係しそうなことであれば印象づけておくようになるべく心掛けていますが、授業にのぞむ学生の興味や関心を引きつけるのに、ささやかでも役立つところがあるように思われます。
 それから、もう一つあるとすれば、これも日本史の分野では、歴史屋の世界で問題になってきたことを、私の不十分な理解の範囲ではありますが、各講義の軸にすえるようにしていることでしょうか。それもできるだけ、新しく問題になっていることを取り上げるようにしていますので、翌年の講義はご二分の一ぐらい人れ替わることがあります。もっとも、前にしていた講義を手直しして入れ替えることもありますが。
 こういうふうにしますと、学生の興味や関心を高めることができるという実感をもっていますが、そればかりでなく、そうしたことを心掛けることによって起きる私自身の緊張感といいますか、それが学生に訴える迫力にもなるところが少しはあるようです。この相乗的な効果が、学生の顔をこちらに向けさせるのに役立っているかな、という思いはあります。
 しかし、うまくいかなかったり、失敗することがあってはいけないので、新しい講義を最初にぶつけるときには、できるだけ、前の日に、家で練習するようにしています。実際に声を出し、チョークで板書する動作をふくめ、部屋のなかで、一人で講義を試みるわけです。家族によく笑われますが、あらかじめ、決まった講義時間のなかに、きちっと内容を収める工夫ができるメリットがあり、面倒でも、結構大事にしています。これは、昔、指導教授に講義をスムーズに展開する一つの方法として勧められたことでもあります。それに、授業中、講義ノートをのぞかないように、ましてそれに頼らないようにともいわれ、今になると、なるほどと思っています。
 講義がしょっちゆう途切れたり、もたついたりすれば、90分もの間、聞いている学生も容易ではないだろうと思いますね。自信に満ちた(実際はありませんが)顔をして、流れるように講義を進めることは、まず、講義に、学生の顔を向けさせる第一歩のように思います。

司会 当然、その結果に関しては、相当の手ごたえは感じていらっしゃるわけですね。

田畑 ある程度は感じますね。もっとも、神様や仏様でないかぎり、90分の間じゅう、全部の学生の顔を講義に向けさせていることは、とてつもなく難しいことではないでしょうか。私は、40人中、まず30余人が時間中、ほぼ講義に真っ直ぐ顔をむけ、5人ほどが一、二度ぐらい「横をむくな」とか、「しゃべるな」とか声をかけて顔を向けさせることができれば、勝ったと思っています。残る2、3人は、ぼけっとしてたり、寝てたりすることになります。お喋りをさせないように気をくばるとともに、寝てる者は、一度は起こすようにしていますが、それでも、また寝る者は起こすことをあきらめます。起きていられる条件がない者にまで、講義を聞かせようとするのは、恐らくどんな大先生でも無理だと思うからです。ましてや、私程度では、できるはずがないと割り切らざるを得ないように思います。「それで教師か」と怒る教官もいないではありませんが。
 それにしても、真ん中から後ろの方は、講義が聞こえないという授業があるとかないとか聞くご時勢を思いますと、運良く、大体、考えている範囲ぐらいでやってこられたのは、まったく幸いと思っています。ささやかな工夫や心掛けも、少しは役立っているかなという思いがないではありませんが。

司会 そういう場合、何がそうさせるのかということを、本当はトータルで見るべきなんでしょうけど、やっぱり、その要素というふうなものを取り出してみますと、ネタといいますか、教材がその中に秘めている魅力といいますか、価値といいますか、そのようなものがまず一つ大きいと思うんですけどね。もちろん、その教師のもっていき方というのはそれと背中合わせで不可分なものだと思いますけども。先生が、その内容を入れ替える時ですね、仕掛ける側のワクワクするようなものがあるでしょう。

田畑 ありますね。大体、新しい講義で不安を感じる時は、私があまり消化していなかったり、工夫の努力が足りなかった時です。つまり、題材が悪いのではなく、私自身が悪かったことを何度となく経験しました。日本史の分野に限られますが、歴史屋の世界で話題になるようなものを選ぶようにしますと、題材的に外れることがないように思います。それを、ある程度消化して、学生に分かるような講義に組み立てる努力がどこまでできているのかと言うことに、講義の当たり外れがあるような気がしています。
 私達よりうんと年下の学生ですから、分かり易くする努力をしないで、学生が分かってくれるはずがないし、また、興味や関心をもってくれるはずがないように思います。その意味では、どういうふうに展開するとか、説明するとかいう、講義の技術的な側面も、案外、軽視できないのではないでしようか。
 私の未熟な例でまことに恐縮しますが、私が今度の実践事例集に載せる「仏さん(像)の世界」という講義(本書80ぺ−ジ参照)は、学生の日常から言えば、もっとも馴染みのなさそうな、地味なテーマだと思うんですが、専門家に怒られかねないほど荒っぼいもんですけど、これでも組み立て方やしやべり方を工夫しますと、学生はけっこう聞いています。ですから、なにも特別新奇な題材である必要がないと思っています。

司会 その面白くというか、分かるようにするというのでしょうか、そういう面白さがあるということですね。

田畑 そう思いますね。良く分かるということが、講義に面白みを感じ、関心をもつ第一歩ではないかと思います。なんだか良く分からない話を90分も聞かされるとすれば、学生にとってどれほどの苦痛・我慢の時間になるでしょうか。そうであれば、その間じゆう、講義に、きちっと顔を向けていろと言う方が無理な注文のように思います。良く分かるような組み立てや、話し方になっているのかどうかが、まず出発点になるように思います。

司会 その場合に、彼らに新しい世界を覗かせるという、何か先生のあれがあるわけでしょう。

田畑 そういう思いもこめ、色々な機会に仕入れた題材を入れ替えてぶつけてみるわけです。

司会 なんかほくそ笑んでいる気持ちがあるわけでしょう。

田畑 まったくないわけではありませんが、それよりも、前にも一言いましたが、新しい講義をぶつける時には、うまくいくかどうかと不安になることがあります。特に、私の独りよがりになっているのではないかと。

司会 もちろん不安と背中合わせでしょうけれどもね。

田畑 専門科目の講義は、技術者になると言う目標があることから、ある程度、学生は自分から聞かねばいけないという気持ちを、前提として持っています。しかし、一般科目の講義は、あまり技術者になるために必要としないような風潮にわざわいされることがあって、ともすると、吸引力が低くなりがちなところがあるかと思います。ですから、どんな素晴らしい内容の講義でも、それだけで、学生の顔を向けさせることが難しい例をみることもあります。言うまでもなく、学生は講義を聞いて、はじめてなにがしかの成果を手にし、聞かなければ、なにも残らないはずです。そういう意味で、時には、「そんなことは授業の本質ではないよ」と批判され、軽視されることもありますが、私は内容と同じぐらい、学生に聞かせるための講義の組み立てとか、話し方の工夫と言うのに大きな比重をおかねばと思っているわけです。「高等教育機関」の名のもとに、そうしたことが、なおざりにされがちなところがなければと思っています。
 それでいて、私はそうしたことに力点をおけばおくほど、逆に、内容そのもののレベルや充実度に、不安を覚えることが少なくなく、どうも困ったものです。

 

 教師が蘇る
司会 どこかのどうしようもない高校生を相手にしていたある先生が、高専に来られて、何か教育の見方が変わった、というお話がありましたが、そこをちょっと今の話と関連して、何か話してくれますか。

久松 これは、昨日、藤枝先生にちょっと紹介した話なんですけど、本校に4年ほど前に普通高校から若い先生がいらっしゃったんですけど、ご存じのように高校というのは、偏差値で輪切りにして進路先を決めるわけですから、千葉の場合は、相当大きな学区ですので、非常にはっきりしたランク付けがありまして、定評のある進学校から、定評のあるどうしようもないというふうな学校まであるんですね。そういう意味で言えば、いらっしゃった先生は、とにかく全く手に負えない学生を相手にしてきたようだったんですけども、一言で言えば、とにかく授業が成り立たないというようなことをおっしゃっていたんです。これは当然、いまの高校は、進学校は進学校なりに、例えば、受験勉強というか、自分が外的に強制されるところがあり、そうでない学校の場合には、実質上進学するのはほんの数名程度ということでして、授業は全く成り立たないというようなことをおっしゃっていました。
 それだけじゃなくて、僕は彼の話を聞いて、いちばんショックを受けたのは、そこに3年間いたらしいんですけれども、そこでいちばん学んだことは何かといったら、生徒というのは信用するもんじゃないと、信じたらえらい目に遭うというか、ひどい目に遭うというふうなのがむしろ教訓だというようなことをおっしゃっていましたね。
 その先生が高専に来て、ここは誤解があるとは思いますが、高専が高等教育であるということもあって、もう一つは学生を相手にしていると、一応そこら辺の学生、生徒とはだいぶ違うということもあったんでしょうけども、カルチャーショックを受けて、今度は、自分がどういうふうに教えていいかというか、どういうふうに学生に対していいかというようなことが分からないというので随分悩んでいましたけどね。
 僕なんか、10年ぐらい前に高専に来たのですけど、その点そういう経験がない、もちろん高校の経験もなかったもんですから、やっぱりそれを聞いたときに、ある意味で教育のいちばん厳しいところを経験してきたんだなと思っているんですけど。その点から見ますと、高専の場合、一般教育の中でも、高度に、自分の専門の分野だけで、とにかく大学教育と同じような形で、学生がわかるか、わからないかということに関係なしにやるというような、そういうマイナスの面も確かにありますけれども、しかし、同時に分からせるという、分かってもらうということの、あるいは、学生が分かって喜ぶという喜びを、こちらが肌で感じたときの喜びもあるわけですね。
 そういう点から言うと、先ほど言った先生なんかは、つい最近ですね、2、3年経って、初めて、つくづくと「高専に来てよかった」と自分でおっしゃっていたけれども、まーある意味では、自分で確信を持つことができたんだろうとは思うんですけれども。それは何かということをボクなりに考えれば、授業の中でコミュニケートができるということじゃないかと思います。

司会 その先生が、教師としての生き方を取り戻したといいますか、そのままいたら、そのままだったかも知れないのですが、教育の面白さ、大事さというものを抱きながらも、そんなものはできるわけないと。だから別な意味では、今だったら、元の学校でもできるかもしれない、というのがあるんじゃないですか。

久松 そうかもしれませんね。だから、その点では彼自身が、本当に学生とのコミュニケートすることの楽しさや喜びというか、教師の側から言えば教えることの喜びということになると思うんですけれども、そのことを知ったということで、非常に自信でもあるし、それから彼自身教師としての彼の自己変革でもあったんではないかというふうに思いますけどね。
 多かれ少なかれ、教える側にも、そういう教育を通じて、自分も変わっていく側面というのは随分あるんではないかと思いますね。ですから、先ほど田畑先生もおっしゃったんですけれども、例えば、既成の、自分の枠内の知識を与えるということでは、多分学生のほうもやっぱり受け付けないようなところがあるんではないかという気がするのですね。
 僕の経験からいっても、自分で考えたり、資料を集めたり、一生懸命校正したりしながら苦闘して教材を作っていって、学生にぶつけたときに、学生にある種の知的な興奮というか、知的な刺激を与えることができた気がすることがあります。それが出発点のような気がするんですけど。
 鈴木先生が会議でおっしゃっていたように、発見する喜びとか、あるいはそういう知的な面でのショックというようなものは、ボクはこれは学生にとっても、我々にとっても同じようなもんだと思うんですよね。特に学生にとっては重要なことじゃないかなという気がします。

司会 高専に限らず、学校という所は、教師の側の姿勢というか、集団で教育に取り組むところは非常に大きいと思うんですけども。同時に仲間と一緒に水平的にというか、垂直的にというか、一緒に教育の目的機能というものを果たしていく、あるいは高めていく、という仕事も一方にあると思うんですね。
 そういう意味で、多分その先生の自己変革には、周りの人の励ましとか、いろんなものがあったと思うんですよね。現場はその最前線で、学生を目の前にして悩んでいる人もあると思うんですね。その最前線で悩んでいる人が、いまの先生のように変わったときというのは、これは、学校にとってはすごくいいことだと思うんです。もちろんその先生にとってもいいことなんですよね。
 だからそういう場合に、何と言いますか、ベテランが若い人に、そういう状況に対して手助けをするというんですか、一緒にそういうハードルを乗り越えていくという、そういう側面は高専にはあるんじゃないかと思うんですけど、どうでしょうかその辺は。

 固定観念をすてる
久松 その点ですね、いまの例だけじゃなくて、えてして一般教育を担当している先生の中では、特に結構長い期間に至っている先生の中で、一つは、例えば昨日から議論になっていますけれども、最近、学生の質がだんだん低下してきているというふうなことで、少し斜めに構えたり、もう一つは、高専ですから理工系の学生で、特に技術者になろうとしている学生ですから、彼らはもともと一般科目についてはだいたい興味を持ってないもんだというふうな決め付けというか、そういう形の諦めみたいなものがあることが多かったんですね。
 しかし、先ほど言いましたように、むしろ一生懸命苦闘して、悩んでという、それが教師の側の変化につながる場合があります。また、木更津高専の場合は、カリキュラムを改定する過程、特にこの数年前から、「一般特別研究」をやり出してから、急速度に教師集団が、いろいろな形でまとまると言ったらおかしいんですけれども、相互に、教科を越えたところの意見を交換したり、あるいはどう評価したものか、あるいは学生はどうだろうかということですね。どういうふうにやっているのかということをお互いに聞き合ったり、特研は、それぞれ少人数で十数人ぐらいのゼミナール的な形の授業形態ですから、それを企画して、実施していく過程とか、あるいはそれをやり出してから以降ですね、一般系の先生方のまとまりというか、ある種の一般教育全体に対する関心が強まったというふうにも言えます。それから一年経過した後、多くの先生が、それなりに手ごたえを感じたということ、これは、非常に大きかったと思うんですね。

司会 鈴木先生、高専へ来て教育観が変わったといいますか、何かそういう経験はありますか。

鈴木 それは、あります。僕は、高校に長いこといました。最後の10年間が、静岡高校という受験校にいたわけですけど、受験校ですけれども、静岡高校というのは、わりと自由な所だったんですね。そこで私が考えていたことは、本当の国語教育なんて言うとおこがましいんですけど、国語というのは、こういうもんだというようなことをやりたかったんです。僕は実際やったつもりです。
 僕は、自分の考えていることをやっていたんですが、やはり、受験ということがありましたから、ある程度制約があったし、ところが、ここへというお話があって、来てみると本当に自由にそのことができるということで、変わったというより自分の考えていたことが本当に思いどおりにできるという、本当に高専に来てよかったなということを感じています。
 それは、どういうことかというと、先ほどからの先生方のお話で、面白い授業ということなんです。面白い授業をしたいと思うわけです僕はね。その面白いというのは何かというと、一つは、分かるということだと思うんです。分かる授業というのは何かというと、やさしいことばっかり言っているわけじゃないんであって、難しいことをやっていても、トンネルの向こうが開けているという授業だと思うんですよ。うんと暗い、長い長いトンネルを通って、パッと向こうに通じて光があるという、その光が用意されたら僕はわかると思うんですね。いままでの暗い所は、このためだったんだということが分かる。
 もう一つは、自分が面白くなければ面白くない。自分の面白いことができる。で、高等学校においては教科書をやらなくちゃいけないということがまず義務付けられています。面白くないのもあるわけですけど、それは、わりと自由に任されているわけですが、そういう制約がほとんどなくて、自分の面白いことができるということですね。
 面白いことの三つ目は、学生が、「ああ、そうだったんか。そんなことがあったのか」と思うような発見といいますかね、「なるほど、そうなんだ」ということがある授業です。それがもう、ずっと積み重なってきた死んだような知識じゃなくて、自分自身が調べて見付けたこと、見付けた瞬間、さっき田畑先生が、まだ準備不足という、興味の出たときは準備不足ということは多分にあるのですが、自分が見付けたことをぶつけられるという点で、高専というのはそういうことができる所だと思います。
 そして、いま言った分かる授業、それから自分も面白い、それが発見が用意されている授業、そういう面白い授業と、先ほどから問題になっているミニマムエッセンスということと矛盾するようだけれどもそうじゃない。その中で、ミニマムエッセンスということを教えることができると思うんですね。
 もうちょっと具体的なことをお話させていただくと、中間報告に僕は書いたことなんですが、三年間太宰治をやっているわけです。同じ学年に一年、二年、三年というふうに太宰治を一つのテーマとして選んでいるわけで、これは校長先生には怒られるかもしれませんが、太宰治は僕は面白いからです。その面白いことを伝えたいのです。
 ただ太宰治に関して、どういうところが僕の発見かというと、太宰は伊豆とものすごく関係がある、そのことを学生は全然知らない。それから太宰は、志賀直哉に反発して小説を書いている。実際その志賀直哉の書いた文章と全く反対のがあるわけです。『畜犬について』というのと『畜犬談』というもの、あるいはまた、志賀直哉の『小僧の神様』に対して、太宰治が『たずねびと』というのを書いている。それは、僕が読んでいって自分で発見して誰も太宰の学者は言ってないことなんですけど、それを直接ぶっつけて。あるいは、また太宰は「軽み」ということを言いましたけど、 それは芭蕉から学んだことでというようなこともあるわけです。
 そのことで、まず一年目には、太宰は伊豆と深い関係があるというところで、そのほかの作家を読ませるわけですね。井伏鱒二、川端康成、井上靖といっぱいあるわけですが、そういう人たちのものをドカンと読ませる。それを、高校の例えば教科書を使っていますとね、一年間であのう何頁でしょうか百頁ぐらいなんですよ。百頁か二百頁しかない教科書分しか読まないわけだけれども、それは一つのことを五時間も六時間もかけて、ジュクジュク、ジュクジュクやっているわけです。
読めばわかるんです小説なんていうのは。それを、ドカドカと、そして一つの小説をサッと一年間ずっと読ませまる。でー太宰と伊豆との関係をやる。
 それで二年目のときには、今度はじっくり太宰と志賀との関係を、一つ一つのペアごとにやっていく。『富岳百景』というのは、志賀直哉に対する反発ですから、その志賀直哉に対する反発を『富岳百景』を二十いくつに区切りながら、一区切り一時間ぐらいかけてじっくりやっていきます。
 それから三年目は、太宰と芭蕉の関係を調べるということです。太宰治を一つテーマに取ったって、それは太宰だけを教えているわけじゃなくて、その中で文学のミニマムエッセンスというようなことを教えられる可能性があるわけです。そういう授業なんていうのは、とても他の場所だったらできないと思うんです。そういうことができるというところは素晴らしいと僕は思います。

司会 だから、学生とその価値を共有したわけでしょう。

鈴木 そうです。

司会 だから成就感を先生が感じているわけですよね。

鈴木 それを、学生も決してつまんないと言ってない。ここにも挙げときましたけど、ここには五枚ぐらいしか挙げなかったけど、40何枚書かせて、つまらないと言ったのは一人もいないんです。全部、面白かったと言ってくれているんですけど。それは、自分も面白かったし、ということがあると思います。

 分かるからおもしろい
司会 高専という所はね、いわゆる教師を縛り付けているというか、窮屈にさせている、そういうものが取っ払われているわけですね。でーそれに気付かないでいる人が、やっぱり苦しむわけですね。これだけのことをやらにゃいけんということに悩めば、新幹線授業をやったりですね、また学問の体系がこれだけあるから、それだけを消化しようということに一生懸命になって、『近現代』は読んでおけとか、そういうだれかの発言の中にあるような格好になると、これは、学生は「分かりました」とは言わないですよ。もう離れていきます。そういう点で、私たちが高専の一般科目というものが置かれている環境のいいところに目覚めるというんですか…。

鈴木 それは、単に僕がずうずうしいだけかもしれないんです。それとも、ただ真面目で、実際は一生懸命やっているだけなのかもしれません。

工藤 それは、あると思うんですけども、例えば、一般の高校においてはね、大学受験のために、特に大学の入学試験で、奇を衒ったような問題が出てくる。それに答えさせるための教育とい うのがね、やっぱりある程度高校の、特に受験校の教員にとっては必要である。ただね、高専では、三年生になるとそれがないから中だるみだとは言うものの、それをやらなくてもねいいというのが、高専のいちばんいいところじゃないかと思うんです。
 それでね、さっきも出たけども、一般教科が面白い、学生が面白いと感じるのは、学生が分からなければ面白くないんだからね、学生が理解できるから面白い。それから、今も、ちよっと出たけども、太宰の話ですけども、人間はもう一つね、我々もそうですけども、自分でやって初めて分かったこと、「なるほど、こうだったのか。いままで気が付かなかった」ということはね、やっぱり誰かに教えてあげたい、知らせてあげたいという気になりますね。それはね、自分が分かったから、なんで分かったかということが、わりと懇切に言えるからです。そうすると学生たちが、「おや、そんな話は聞いたことがないけれども、なるほどな」というと、そこで面白いというふうに感じるんですね。
 そういう意味では、普通の高校の先生と違っていますね。高校だと受験勉強でも、一生懸命教えないといけない。あるいは、先ほどの久松先生の話のように、落ちこぼればかりいた学生に、どう教えていいのか分からんし、学生から反発を感じるという、そういうことがないということでね。だから、学生に理解してもらえる、面白い一般教科の授業が高専ではできる、そう思った方がいいのではないかと思います。

司会 それをお互いが発見してというか、気が付いて、そしてその特徴をどんどん生かしていく。そうすればまた、その輪が広がっていけば面白いということになりますね。

久松 学生に一年生の歴史を教えていて、試験の最後に少し感想を書かせたりするんですけども、そのときにですね、我々は、つい現在の学生というのは、話し方の面白さとか、洒落だとか、冗談がうまいとか、確かにそれはみんながワーッとわくし、授業のときなんかもいい雰囲気をつくるにはそういうのが大事なんですけども、ただ学生に書かせてみると、「新しい知識を得たから楽しい」とかね、それから「授業では全く自分が知らなかったことがこんなにあるのか」と書いているんですね。例えばボクは、開国のところのペリーをやるんですけども、中学校ではたった数行しかペリーの記述がなかったけども、ペリーがどういう経路を辿って日本へやってきて、どういう使命と、どういう生い立ちでもってという話まで含めてやっていくと、逆に言えば、すごくよく分かって面白いというんですね。つまり、彼らが本当に面白いというのは、我々が考えるほど表面的な面白さということではなくて、本当に分かるということが面白いというふうに捉えているのがむしろ多いように思うんですよね。ですから、その点では先ほどの鈴木先生の話もそうなんですけれども。今日、田代先生(激動の東欧におられた)と少しお話したんですけれども、いま東欧で何が起こっているかという最新、最先端の最も難しいところだと思うんですね、そのことを授業で相当高度な内容で、大学レベルの内容だけれども、やってみたと。そのことは、むしろ深くやればやるほど、学生がわかる、ついてくる、というようなことをおっしゃる。ボクも、全く同じ経験をしてきたと思うんでね、全く同感です。それは、内容の高度さ、と言ったらおかしいんですけれども、これを言い換えれば、全体のいろいろな連関がわかってくるとか、ほんの小さな、ささいな日本で起こった幕末のある一つの出来事がどれだけの広がりの中であるかという、例えばそれの世界的な広がりとか、そういうものが見えてくると分かってくるんだなと思うんですね。それは、少し高度かもしれないんですけれども、しかし本当にわかって楽しいというのは、むしろそういうことではないかというふうに思っていますね。

鈴木 面白いということは、そういうことだと思うんですよ。本当のことを、初めて発見したことがいちばん面白いと思うんですよね。ビートたけしがなぜ面白いかというと、彼は本当のことをいうからだと思うんですよ。わかりやすい言葉でもってね。何でボクが映画を見ていて泣くかというと、泣くのは、本当のことを言っているときに泣くわけでね。

工藤 先ほどの、ペリーの開国の話でも、ただペリーが修交のために日本に来た、下田に来たとかいうのではなくて、その来る背景が、鯨を求めて日本に来たなんて話をすると、「おやっ」と思って楽しくなるのですよ。

一斉に 本当にそうですね。

工藤 「なんだ、いまは、日本に鯨を捕ってあかんと言っているけども、かつてはそうだったのか」という話もするわけですね、実は。

久松 そうなのです。実は、だから「当時は最大の捕鯨国はアメリカだったんだ」という話をですね。

鈴木 食べていたんですか。

久松 いいえ、食べてはいないです。

工藤 女性のスカートの骨。

久松 それもありますし、それから鯨油です。基本的には油です。だから、食べないですよ。

鈴木 コンチキショウという感じだね。

久松 石油が出てからね、捕らなくなったのです。もう一つペリーの話で、ボク自身ももともと門外漢だからあれで、非常にびっくり、驚いたんで、それでずっといろいろ調べて教えているんですけどね、ペリーは、アメリカからどうやって来たかという話をするんです。聞くと、大体半々に分かれるんですよ。太平洋を渡ってきたというのと、大西洋からずうっとこっちを回ってきたのと半々に分かれます。「いや、実は太平洋を渡ってきたんではないんだ」という。こっちから来たのはなぜか、という話にまでいくと、随分興味をもって来るんですね。

鈴木 本当のことを知るということと、深く知るということは面白いところですね。王選手がなんで野球が面白いかというと、自分で打てて、深く研究したから面白いと思うんです。

司会 それでですね、高専のそういう規制するものがないということですね。そういう意味では、そういう環境に自分たちが置かれているということに気が付けば、学生を引きずり込むそのいろんな策をいろいろめぐらせるわけですね。高校は、すべて受験教育が目的というふうに言い切るわけにはいきませんけれども、仮に受験のある高等学校ですね、ペリーの話で何分も何時間もかけてやられるとまあ支障も出てくるだろうと思うんですね。
 ところが高専だから、むしろそういう総合的にといいますか、どんどん発展的に体験させることができるわけですね。つまり、ペリーが何をしに来たかもそうですけれど、どっちの道を通って日本に辿り着いたかというのを、受験校でそんなことをしていると、ほかの時間をいっぱい失うわけです。しかし、教師が、いまだという、これだというものを感じれば、どんどん押していけるというところがありますね。だからそういう意味では、ある意味ではそれを中途半端にやるとですね、折角のチャンスを失ってしまうというそういうことにもなりかねないですね。

 

 真面目で素直な
司会 ほかに、その辺で自分の体験みたいなことがあったら追加していただきたいんですけど。座談会前の会議で文部省の浅黄谷先生が、高専というのは、結構、粒が揃えられているといわれましたが、学生にいろいろ落差があると、そういう状況の問題というのはどうですか。高専の学生と出会ったときの初心に戻って何か気が付いたことがあれば紹介してもらえますか。

鈴木 学生がですか。

司会 こっちがいろいろ手を変えてやればですね、どんな相手でもさっきの先生が、今度だったら、あの学校へ戻ってやれるだろうと思うんですよ。しかし、やはりそういう教師を育てるという環境、高等学校に比べるとあまり規制がないので、そういう意味では、このチャンスを生かせる。言ってみれば、高専は行き詰まった教師が蘇るというものが内在されているわけです。
 今度は、学生を相手にしていると、触発されるとか、そういうものはありませんか。

鈴木 僕が高校から来て感じたことは、高専生というのは、うんと真面目だということですね。いろいろ寮の仕事なんかしていますと、タバコを吸ったり、酒を飲んだりするのもいますけども、その量からすると、高校の比じゃない。少なくて。非常に真面目で、素直な学生がいる。それは、どうしてかというと、わりと家庭なんかで苦労している人がいて、そういう人が、なんとかお父さん、お母さんに親孝行をしてやろうという子がいるんですよね。親孝行などいう言葉は僕はここ数年聞いたことがないのですが、ここに来て聞きましたけど、そういった子がいて、わりと勉強意欲がないと言いながらも、ほかの高校よりは、なんとか少し勉強して、早くお金を稼いでというような気持ちの子がいるんではないかと思うのです。そういう意味では、我々の話を聞いてくれる受け皿としては、上等な人たちではないかということをほかの高校との比較において僕は感じますね。寮などでも、あんな真面目な高校生はいないと思うんですよね。  

司会 ちょっと、僕の言い方がまずかったかな。教育を受ける子供たちに優劣を付けるようなことを言いましたので、それはちょっと撤回しますけども、学生あっての自分の仕掛けですよね、対象があっての仕掛けですね。したがって、そういう側面からですね、何か高専はいいなあという、悪いなあというのがあってもいいですけども、そういうのをを少し出してもらえませんか。
 平均的という言い方がいいかどうかわかりませんけどね、ものすごく差があったり、いろんなのがある場合にも、それは確かに魅力がある集団でしょうけども、高専のようにこじんまりまとまっている集団というのは、結構それなりにですね内容的にも、材料とか、あるいはアプローチの仕方というのか何か有利な面があるのではないかと思うんです。
 先ほど鈴木先生がおっしゃった高専の学生は非常に素直である、真面目であるということと背中合わせですね。だから、ひねくれてないために、余分なエネルギーを使わなくてもいいわけですね。そうすると、面白い経験をさせれば、また手ごたえがあると、もっと面白い経験をさせてやろうというような相乗効果を生んでいく。いつの間にか、我々はそれを気が付かずにいるんだけれども、これは、結構恵まれた関係であるというふうに、これはこじつけでなしにですね言えるんではないかと思うんですよね

鈴木 言えると思いますね。

久松 学生が、非常にノビノビしているというふうには思いますね。ノビノビしているだけではなくて、これはいいか悪いかはわからないのですが、非常に人なつっこいということと、それから、これは先生にもよるのかもしれないんですけど、だいたい教官室に始終遊びに来るというのが多いですね。これは、ボクに限らないと思うんですけど、遊びに来るんだけれども、ときたま相談にも来るというね。そういう意味で言えば、学生にとっても割合居心地がいいのかなと思うんです。
 あと、僕が触発されたという、驚いたということで言えば、もっと固定観念で見ていた、今の若者像と違った面が結構見えるということですね。一つは、例えば一年生で文章を書かせたときに、実にみずみずしい文章を書く学生がいましてね、僕の場合は、歴史の小論文ですけども。国語の先生でいろいろ詩を書かせたり、創作を書かせたり、俳句を書かせたり、それを継続してずうっと文集として全部ワープロで打ってプリントしている先生がいます。それを、クラス毎に作っているんですね。いま、50冊ぐらいありますね。それなんか読んでいると、実に驚くような表現力があって、それを聞いてみますと、「これは、留年生なんだけれども、自分をこういう形で表現できるというのに非常に感銘を受けた」という先生がいらっしゃいました。そういうのをボクも頂くたんびに見ているんですけども、ボクが知っている学生が多いもんですから、そうすると「えっ、この子がこういうのを書いているの」とかいうのがあってですね、割合ボクは、これは文系、理系という固定観念でいくのは間違いじゃないかなというか、ある意味では、結構、感性的にも豊かなものを持っている子どもが多いということで感心することがありますね。

司会 沼津高専の場合ですが、学生の関心をある類型に分けますと、四分の一は理系に偏っているかも知れない、それから四分の一は文系に偏っているかもしれない、残りの半分はですね両方に興味を持てるいわゆるそれを普通科型になったんじゃないかということで、あえて言いますと沼津高専というのは、かつては何か数学だけができれば、あとはできなくても通ってきたのが、今は、それが入試の段階でオールラウンド型が増えていると。その結果、学生の集団構成がそういうふうになっている。そうすると、それをひっくるめて言うと、四分の三は文系に乗ってくるという感じですね。しかも、その四分の一の理系が、全部文系を食わず嫌いかというと、必ずしもそうじゃないんじゃないかというふうに思うわけですよね。

 

 あの講義をもう一度聴きたい
司会 それで、それと直接関係があるかどうかわかりませんけど、群馬高専では上級生が、田畑先生に、課外授業ですか、課外ゼミナールを是非やってくれと言ってきたそうですね、これは特殊な例として見るべきなのでしょうか。もちろん、田畑先生の魅力というものがそうさせているのはあえて当然だと思うのですが、それを一応どこかに置いといても、子供たちが、何か教師をそういう所へ誘い込む、教師をやる気にさせるというそういうふうなものが、教育の世界にはあるんじゃないかと思うんですけど。
 その経験をされたのは、田畑先生ご一人なんで、そこんところを少しお話してもらえますか。学生たちがなぜ先生…

田畑 それは、良く分かりませんが。ご参考になるとも思えませんが、去年の場合、4月に、5年生が3人ほど私の部屋に来て、放課後、何か講義をするように頼まれました。話を持ち込んだ学生に、「するのはいいが、5年生何人ぐらい集まりそうだ」と聞くと、「6人か7人ぐらいいると思う」と言うので、「それじや、やってみよう」ということになりました。6、7人に講義するのも、10人にするのも同じなので、学生昇降口にB4版の張り紙をして、4年生にも誘いをかけることにしました。講義は「特論」と名前をつけ、私が学内ではじめて話す内容とし、会議室を借り、1力月に1回・2時間ぐらい、できるだけ水曜日にすることを決めました。水曜日にできた場合は、大体、私が3時から5時まで話をし、その後、30分ぐらい質疑応答になりました。水曜日に出来ない場合、実際、金曜日に2回しましたが、その時は、私が4時過ぎから6時頃まで話をし、質疑応答して6時30分ぐらいに散会しました。12月の時などは、はじまる頃、すでに暗く、寒くなっていましたので、だれも来ないのではないかと危惧したこともありました。
 1、2回も続いたら終わりじやないか、夏休み過ぎたら終わりじやないかと思っていましたが、結局、5・6・7・10・11・12・1月・2月と8回続き、冬の暗い、寒いさなかまで、学生も私もよく続いたと思っています。私も1回の講義をまとめるのに、1週間以上かかり、時にはその日の朝3時頃に起きて最後のまとめをしたこともあり、正直、ずいぶんつらいこともありました。私は1年生の世界史、2年生の日本史を担当していますので、集まって来る4、5年生といえば、1〜2年間も関係がなくなった学生達で、それも、成績にまったく関係しない講義、つまり、私の話そのものに集まって来るかと思うと、逃げるわけにはいきませんでした。もっとも、そんなに沢山集まって来たわけではありません。少ない時には12人、多い時でも18人、平均15人ぐらいでしたので。
 集まって来る5年生は、夏休み前は、就職・進学と進路を決める時期にあり、夏休み後は、卒業研究が忙しくなる時期にあるため、いわば「余計なことをしている」ので、学級担任や卒研指導教官に「不真面目」とか、「さぼっている」とか言われやしないか、あんがい気になりました。それに、会議等があって、私の都合がつかなかったり、また、場所がとれなかったり、あんがい支障になることが多いという思いもしました。
 今年の場合は、やはり5年生が4月に頼みに来ましたので、「何人ぐらいいるのか」と聞きますと、「4人ぐらいいる」と言うことですので、去年の要領ですることになりました。5月、6月にはしましたが、7月は私の都合がつかず、できませんでした。それでは「9月には必ずする」と約束しておりますが、これもまたできるかどうか見当がつきません。4月から引き受けた教務主事の仕事にわざわいされるところが大きく、教官として、本末転倒になっているのではないかという思いを強くしました。学生の方は14、5人集まって来ますので、私の方ができなくて、今年の「特論」を潰しているようなものです。ずいぶん気持ちが痛みます。何の役務をやっていても、学生から頼まれた講義が果たせないなどというのは、「普通じゃないのではないか」という思いをしています。
 それにしても、放課後、成績になんのかかわりもない、私的な試みの講義が、まがりなりにも行えたのは、恐らく、2年生の時の日本史の授業、これが学生とウマのあうところがあったからのように思います。それが何人かの学生に、もう一度、私の講義を聞いてみようという気をおこさせたのではないかと思っていますが。

司会 学生がね、講義をもう一度聴きたいと。これは魅力ですね。

 

 高学年に必要なみずみずしさ
久松 僕はその点で、一つは、教育の一番本質的な点が田畑先生のお話しにはあると思うんですけどね。やっぱり、教師の全人格に対する信頼というか、あるいは人間的魅力というか、そういうのはやっぱり非常に大きいと思うんですよね。それを非常に強く感じたんですけど。
 もう一つはですね、これはもうちょっと一般化して、私の経験から言っても、教養科目というのはですね、高専の場合はやはり高学年にこそむしろ必要だというか、特に人文・社会系のね、という感じがしています。これは学生自身の中にもそういう欲求があるというふうに思うんですよね。それは何というか、大学に進学するという学生の場合は、ひょっとしたら違うかもしれないんですが、もうこれから社会へ出ていくということが間近で、就職運動に出て行くというふうな、そういうときになって、むしろ、そういう欲求が強くなるんではないかなという気がしているんですね。
 というのは、ちょっと先程の話に戻るんですけれども、1年生とか下級生で、文章を書かせると非常にみずみずしいんですけれども、逆に5年生ぐらいの経済学で小論文を書かせたりすると、むしろ、干からびていることが多い。どちらかというと面白みがないんですよ。彼ら自身もそういう不安をもっているんじゃないかという気がするのですよ。つまり、このままで行って果たしてどうなのかというねえ。まあ、だんだん専門の、例えば、文章を書くと言えば、型通りのリポートのやり方で、あれはあれで一つの専門的な重要な訓練だとは思うんですけれども、しかし、そのことによって全体としての人間としての、何というか枯渇感というか、飢餓感みたいなものが、僕はあるような気がするんですよね。そういうことも感じたんですけれど。

田畑 いゃあ、人格などと言うことになりますと、大衆性はないし、人情味はないし、私は失格の見本ですね。人格で学生の顔を向けさせるなどは、私にはとても駄目です。
 私は日本史のなかでも、江戸時代の280もあった藩の一つぐらいがベースにしかすぎない、ささやか歴史屋であることを重々心得ています。ですから、例えば、昭和史の話をしますと、それは私のささやかな分野ですらないわけで、昭和史をしている人並みのことができるわけありません。それでも、てらったりしないことにしているんです。少なくとも、それは私がかなりの努力をして、私なりにまとめあげたものですから。良いか悪いかは別ですが。当然、専門家から見れば、乱暴な内容であったり、それでいいかどうかというような点も含めて、ずいぶん間題もあるのではないかなと思うこともありますが、それでもいいと割り切っています。未熟で、完成度が低いものであっても、自分でまとめあげた講義というものが、学生の顔を向けさせる一つの要素になると思って、しているだけですから。

司会 それは、生きがいでしょう、先生の。

田畑 いゃあ、どうですかね。なにかをすれば、必ずその分、新たな負担になることも確かですから。

司会 喜びには違いないでしょう。

 

 同じ話はしない
田畑 ところで、私は自分の持ち話といいますか、持ち講義といいますか、その数をすこしでも増やしたいという思いをもっています。ですから、なにか本を読むときは、いつも2時間ぐらいの一講義にならないか、どういうふうにしたらなるだろうかというようなつもりで読んでいます。それは、一般的には、国語で扱うと考えられるような、例えば、石川啄木や若山牧水に関するものを読んでも、そのようにして読んでいます。なにを軸にしたら一講義になるかを考え、できあがると、不安を感じながらも、学生にぶつけていきます。ですから、持ち講義の数が増えるのに応じ、講義の入れ替えが進むことになります。もちろん、前にしていた講義を手直しして復活させるのもありますので、毎年、あんがい入れ替えることができます。しないような年は、私が緊張感を失い、惰性に流されている時のようです。

鈴木 持ち話を増やしていくというのは大事ですね。何というか、若いときからずっと積み上げて、やっぱりその山を作っていくということですよね、教師の役目というのは。太宰の山があって、漱石の山があって、芭蕉の山があってという、その山を、自分で話せる山を、たくさん作っていくというのがやはり教師の仕事だったんですけど。

田畑 それに、同じ講義でも、内容に関連する新しい色々な事項をできるだけ取り込むようにすることによって、脹らみや変化をもたせることができ、単調にならない効果があるように思います。また、用意して溜めておくだけでも、臨機応変に講義を進めることができる効用がありますね。

 

 現在と結びつける
鈴木 先生の思いを通して、目を通されて出てきたものというのは、やっぱり学問の本質というのがそこにあるんじゃないかと思うんですね。
 もう一つは、現在に関係するというか、学生たちが問題にしたいこととのやっぱり関係があるんじゃないですか。現在の問題を取り上げられているということはないんですか。

田畑 ええ、それはありますね。特に、昭和前半史の場合は、できるだけ現在と対比させるようにして進めます。例えば、皇軍と自衛隊の組織・階級・統帥権、等々を必ず比較するなどしています。それは、神ならぬ生身の人がつくっている社会ですから、完全無欠なものなどあるはずがないなかで、私には、現在、到達している日本の在り方を大事にしなければいけないという思いがあり、それを昭和前半史をたどるなかで考えさせたいという気持ちがあるからです。

鈴木 さっき、自分が面白くなくちゃつまんないということを申し上げましたけど、いくら面白くたって、学生の問題と全然かかわりのない所で個人的な面白さのことをやったって面白くないと思うんですね。やはり、学生も問題にしているどこか噛み合う所で、現代の問題といいますかね、そこを取り上げていくというような。例えば、私たちが受けた世界史の授業というのは、受験勉強として受けたわけですから、つまり、歴史の流れなんて何もなかったんですね。教科書の脚注に書いてあるような所を、先生は試験に出しますからね、細かい字で書いてあることを覚えたりとか。

久松 あれが、受験教育でいちばんの弊害だったです。

鈴木 僕はそのときにつまらなくて、林健太郎の『歴史の流れ』というのを読んだんですよ。高校生のときでしたけど。それが面白くて面白くて、歴史ってこんなもんだったんだと思ったんですね。そして、ところが、そういうことは出なかった。僕は林健太郎の『歴史の流れ』全部暗記するぐらい覚えたりしたんですけども、そういうのは全然問題にならなくて、八幡製鉄ができたのは何年ですかとか、そんな問題をだいじにしていましたけどね。
 そして、今度ここの学校に来るようになって、村上先生(当時歴史担当)と電車で一緒に来ましてね、下土狩の駅からここまで歩いてくる間に、僕はイスラムのことは全然分かりませんのでねイスラムのことを教わりながら来たんですよ。先生は途中で文部省へ出られてしまって残念なんですけどね、先生はイスラムは現在はこうだということがあって、昔にかえって、溯って向こうから、古い時代から順番にやっていくんじゃなくて、現代のことがあって、これはこの前のこういうことにつながってとそういうふうにこう教えてくれたんですね。だから、高専では世界史を教える場合なんかにも、僕は世界史の専門家でもないので、こんなことを言うのはなまいきなのですが、ある現在の問題があったらとしたらそれを取り上げて、それにかかわる歴史をやるなんていうことも可能性があるんではないかと思います。

久松 それは、そうですね。私の同僚で、二年で世界史を教えている先生がいるんですけれども、二年前ですからちょうど湾岸戦争が起こった直後の学期だったんですけどね、それまでの授業のやり方をコロッと変えて、湾岸戦争、さらに、それをずっと遡って、まず、ユダヤ、それからシオニズムの問題とイスラムの問題ですね、相当時間をかけてやられたと思うんですね。これは、だからその年だからこそだと思うんですけれども、それはボクが経済学を教えたときも、やっぱり湾岸戦争の起こったあの直後のショック、というのはちょうど授業に出る前のニュースでどうもミサイルを撃ったらしいというところで授業に行ったもんですからね、それでやっぱり、そういう話になるわけですね。
 ただ、それを歴史のその先生は、その次の年度のときに、まだホットな段階で、それをユダヤの発生のところまで遡って、あるいは、特に二十世紀のシオニズムが出てきて、そしてイスラムとユダヤとの対立の問題をずっと遡って、縦にずっとその問題に絞ってやられたというのはね、これはこういうことができるというのは、高専の非常にいいところだと思いますね。

鈴木 小回りが利きますね。高専というのは。

久松 そうですね。

 

 自分だからこうできる
田畑 小回りが利く利点を有効に生かすのは、教官ということになりますね。それは裁量の幅が大きいなかでだけに、責任も大きいということになりますか。責任が大きければ大きいほど、少なくとも授業に関して教官は、もっと学生に対して、教祖的になっても良いように思いますが。特に、一般科目の場合は。

鈴木 ええ、ボクは、自分が教師になるときにね、「教師はスターでなくちゃダメだ」と言われました。やっぱり、そういう面がなくちゃ、あれですよね。スターというのは、アクターという、演技者という意味も含めて、スターということでしょうけれども。

工藤 それは、そうですよ。我々が中学校時代、旧制中学ですよ、そのとき習った先生というのは、それぞれの先生が、やっぱり自分の教えているのが一番だという自信をもっていたようですね。いま、教祖的というけど、こうやって振り返ってみますと、本当にカリスマ的でした。それでね、また、それに生きがいを感じているという感じがしましたね。

鈴木 中学の先生というのは清貧でしたか。

工藤 いや、金持ちの人もいたよ。それで、教えるのが好きで教えていたというのもいたよね。

鈴木 貧乏でも、カリスマ的な人はいましたか。

工藤 そんな貧乏な人というのはいなかったんではないかな。だって旧制中学の教師というのは、そういう意味ではかなり社会的に地位としては高かったですよ。だから、中学校の校長などというのは、本当にお上の長みたいな感じがしましたよ。

鈴木 そうらしいですね。昔、馬で通ってきたという校長先生もいたとか。

司会 高専の話に戻りますとね、やっぱりそういう「やれるもんならやってみろ」という、そういう一つの何と言いますか、そういうものは理解できます。それで、やっぱりそういう自負が自分の存在を支えて、もちろん、自分が企業努力をしなきゃね、いつまでも過去の栄光に酔っていると足をすくわれ、こんなはずじゃなかったというふうになると思うのです。しかし、そういう平均化の職場ですね、高校や中学は、そういうことを言うと語弊があるかもしれませんが、突飛なことをすると、「受験指導をしない教師が自慢するな」とかいう部分があると思うんですね。
 ちょっと逸脱しますけど、1970年代か、1960年代の後半ぐらいに東京の駿河台中学かどこかに、国語の先生に、女の先生ですけどね、ベテランの先生で大村はまという先生がいるんです。名物先生なんですけど、今この人は国立教育研究所かどこかにいるのかな、あるいはもうそこを辞めてどこかの短大かなんかにいるのかもしれませんけれども、NHKでこの人のドキュメントがあったんですね。
 これは公立中学校で、子供にものすごい落差があるんですね。よくできる子は放っておいてもなんでもできる。先生はできない、ものを言わぬ一人の女の子に着目します。先生には、この子が、一体何を考えているのかわからないわけですね。それを知るために考え抜いて、いつかは役に立つかもしれないと思ってた朝日新聞連載の「クリちゃん」という漫画を何年間かにわたってためておいたものを、これを使ってみようと思ったのです。当時は、コピーも何もなかった時代ですから、ガリバンで切ったのか、画用紙に書いたのか忘れましたけど、何個か作って、何人ずつかにおなじ四コマ漫画を与えるわけです。あれはセリフがついていないんです。これにセリフを付けろというんです。そうすると、一人ひとりが一生懸命セリフを付けるわけですね。それで、はま先生がいちばん気になる女の子のそばへ行って、なだめたりなどしながらやっているのですね。そして、いよいよ発表の段になったときに、すぐに手を挙げてできた子は発表するんですけど、「○○さんのはどう書けたかな」というような感じですね。その子はなかなか言おうとしないんです。それで「先生だけに教えて」と言うと、何かボソボソと教える。「なかなかいいじゃないの」と言って、黒板に先生がその子の書いたセリフを紹介する。女の子は少しずつ自信をもってくるんですね。これはドキュメントですから、その辺はすごいなと感じさせられたわけです。
 ところが、これには別の受け止め方もあると友人から聞かされたのです。友人の妹さんのお子さんがその学校に通っていて、父兄の中には、「そんな国語教育をやられたら、受験戦争に取り残されてしまう。担当を代えてほしい」というような動きがあったということです。先生たちの間にも、こういうやり方に疑問をもつ教師もいたということです。
 はま先生は子供たちを見詰めながら、自分の独自の、まさに「真似ができますか」みたいなことをやったわけですね。やったんだけれども、そこは、そういうふうな時代と、そういうような環境の中で埋ずまらなければならないという状況があったわけです。
 そういうのに比べますと、高専にはそんなのはないじゃないですか。そういう陰口をいうのはいるかもしれません。いるかもしれませんけど、かなりユニークなことができる、ということは喜ばしいことだと思います。妨害があれば、あるで、エネルギーが沸くんでしょうけれども。

 

 もっともっと知的好奇心を
司会 時間もきたみたいなんですけども、ちょっと一言ずつですねここまでのお互いの議論を振り返ってみましてですね、何か今後の一般科目、取り分け我々の人文・社会系の授業の展開に対して、何かお考えなり感じていることを紹介していただけますか。

鈴木 僕はね、工藤校長がさっき実践的技術者というのは当たり前のことだとおっしゃいましたけど、本当にそのとおりだと思うんですね。例えば、コンピューターが操作できない技術者なんてのはあり得ないだろうし、旋盤を回せない技術者なんてのはあり得ないだろうから、技術者というのは、まず実践ができなければいけないと思う。ただ、それだけじゃなくて、やっぱり、モーツアルトも聴ける電気屋さんとか、漱石が好きなコンピューター技士とか、そういった部分を僕は一般科目というのはつけていくべき責任があるんじゃないかという感じがするんです。単なる電気技術士で終わらないで、やっぱり政治問題も語れる、日本の焼き物についても語れる、そういうような技術者をつくるためにやっぱり僕らはやりがいのある所に置かれているんじゃないかという感じがしますね。

久松 卒業生でね、企業に入ってもう5年ほどになるんですけどね、その卒業生が毎年文化祭のときに来たり、あるいは一緒に旅行に行ったりしてよく来てくれるんですけどね、その彼がです、法学に非常に関心を持ちまして、それで放送大学をやりだした。仕事をやりながら放送大学の二百数十単位を取って、この間終了したんですけどね。最後の卒業論文をちゃんと私に送ってました。非常に難しい論文だったんですけど。一方で仕事をしながら、そういうふうな法学の勉強を、また法学だけでなく、放送大学では、社会学、経済学、それから自然科学など、二百数十単位を取っているんですからね、大変な勉強をやったんですね。
 彼とは違うんですけれども、その数年先輩にやっぱりよく来る卒業生なんですけれども、高専時代に神話の研究をやったんですけれども、特に蛭子伝説といいますか、古事記、これをずうっと自分で原稿を書いていって、それで卒業してからも8、9年ぐらい経つんですけれども、それをいま
だに継続しています。蛭子の伝説を全国の地名を見ていって、恵比須なんですけども、その恵比須がいろいろな形で出てきて、それが、どこに分布しているかということをずっと研究論文として書き溜めているんです。今はもう200枚ぐらいにもなっているんですね。
 こういう卒業生を見ていますとね、なんというかやっぱり素晴らしいなというか、頭が下がると言うか、確かに技術者ではあるけれども、同時に一つの知的な喜び、あるいは知的な探求というものを、彼の人生の中にずっと継続していっていることの持っている意味というのは非常に大きいと思うんです。逆に言えば、ボクは高専の中で、学生を教育していく中で、そういう形で将来的にも、ずっと知的な興味と関心と、それから探求をやっていけるようなそういう学生が育っていってくれれば、これは一般教育を担当する者にとっては、本当にすごくうれしいことなんですよね。やっぱり、何らかの形でどこかに残ったんだと思うんですね。残ったからこそ、いまだに付き合いがあるんですけれども、そういう形の学生が一人でも二人でもね、出てきてくれればいいと思っています。
 いま、鈴木先生がおっしゃったように、技術者ということだけれども、何でも語れるというか、全く別分野のことに対しても、絶えず好奇心と、関心と、それから探求心というものを持ち続けられるようなそういう人、先ほどスウェーデンの話がありましたけど、インテリとしての技術者を育てられるための、少しでも種が蒔ければという感じがします。

 

 平均点が語りかけてくる
司会 田畑先生、一般教育に寄せる先生の期待みたいなものはいかがでしょうか。

田畑 あんまりいい話ではない、例外的なことかもしれませんが。前に話題になりましたが、高専に来る学生は、今でも普通以上の学生がほとんどという、幸せのなかに私はいると思っています。鈴木先生が真面目で素直な学生と言われましたが、まさにその通りだと思います。私のところでも、一年生のどのクラスの授業に行っても、私が教室にはいる時には、ほとんど全部の学生が席についています。
 それでいながら、前期の中間試験の成績を見ますと、全科百の平均点55点未満が落第する規定があるなかで、平均点の最も低い科目が43点、最も高い科目が98点という大差がおき、どうしてこれだけの差がおきるのかという気がしました。98点を万々歳と喜べればよいのですが、どうみても普通ではないように思われますし、逆に、43点というのは、クラスのほとんどの学生がその科目を落第していることにもなるわけです。いかに年間4回あるうちの1回の試験成績でもという思いがします。
 こうした動向から、前期中間試験成績の段階では、百余名が進級規定をクリアーしていない結果になりました。特殊例外的なことにしても。

鈴木 学年全体ですか。

田畑 1年から5年まで合わせてですから、全学生の一割強になりますか。私は1、2年生の授業しかしていませんが、その限りでは、どうして、こんなになるのかなあという思いがしています。工夫すれば、なんとか落ち着くところへもっていける科目を担当している、私の幸いを思うと同時に、そういうことがしにくい、効果があげにくい一般科自もずいぶんあるものだなあという思いもしています。あまりいい話ではありませんが、一般科目のなかで、人文・社会科学系統の科目に限ってみても、いちがいに言えないところもあるように思います。

司会 いいえ、大事な話で、やはり、有頂天でばかりはいられないですね。

 

 まとめ
司会 校長先生に、いままでの話合いの感想をお伺いして座談会を終わりたいと思います。

工藤 いまの最終のお話は、田畑先生の所だけの問題ではなくて、全高専にある問題ですね。
 さて、「人文科学・社会科学の総合化」ということに関連して、一般科目というものを取り上げたわけだけれども、今日のお話を伺って、端的に感じたのは、一般科目はですね、一つには一、二年の教育と、五年の教育とがあるよ、ということです。それから、田畑先生のお話で、五年生の数名が、例えば、コンテンポラリーな昭和史ということを、同時代史として聞きたいという、そういう意欲を持った者を、先生は謙遜しておっしゃらなかったけれども、一、二年の時の先生の歴史がやっぱり面白かった、それでじゃもう一回聞いてみようかなと、端的に言えばそうだと思うんですね。それはやっぱり何度も出ていますが、面白かったというのは要するに理解したということで、理解できたから面白かったんで、それは、私がいちばん最初にお話したように、基礎、基本的なものはやはり持っていてほしい。特に、私もよく学生の反省文を読みますと、今日もお話の中に出ていましたように、漢字とかな混じりの作文というのは随分あって、ああいう点は、やっぱり本当は基礎の中でクリヤーしてほしいと思うんですけれども。
 ただ、そういう、面白いと思って、理解できたことは、一つには、その基本的な考え方に、やっぱり繋がっていくんではないか。ですから、そういう意味では、基本がある程度できていくのではないかというような気がするわけですね。そりゃ、みんな神童でもないし、どんな学校だって、とてもオールラウンドプレーヤーが育つはずはないし、何か一つのことでも興味を持って覚えておることができれば、それを理解できた、その思考の中でですね、深みについても、なるほどこういうふうなことをやっていければ、新しい問題を、基本的な考え方の中で捉えられる。
  私は、昨日の挨拶の冒頭でも申し上げましたように、要するに好奇心を養うことができれば、かなり一般教科の基礎的、基本的なことがある程度満足できるんじゃないか。そういうものができれば、それこそ相乗効果が生まれて、さらにやる気が出てくる。そういうことを理解するためには、やっぱり、五年生の一般教科というのは、かなりウエイトを占めるんじゃないかという、そういう気がしました。
 もう一つは、面白いことを学生たちに与えられる、という授業ができるということなんですね。いわゆる、大学入試のための授業ではなくて、もっと自由な授業ができる。そういう意味では、その授業こそ魅力がいっぱいの授業ではないか。それは、やっぱり高専でないとできないそういうふうな感じですね。それは、指導要領や標準を全く無視するというわけにはいかんでしょうけれども、でも、やっぱり、高専の一般教科には、そういう自由度があるところに、魅力いっぱいの教育方法だということで評価ができる、そういうような感じがしましたね。

司会 はい、長時間にわたって楽しいお話をありがとうございました。これからの一般科目を魅力いっぱいにするために、お互いに頑張りましょう。ご苦労さまでした。

 

 
    UP ↑
    menu