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高専実践事例集 |
工藤圭章編
高等専門学校教育方法改善プロジェクト
1994/03/24発行
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こんな授業を待っていた
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T人文・社会・外国語系の授業がいまおもしろい
3. 自ら学ぶ学生たち
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●一般特別研究(158〜171P)
こんなこともやれる学生たち 久松俊一
木更津工業高等専門学校助教授
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「私は、何よりも自分で何かを考え、やりたいことを決めて、自分で計画できて、先生に教えられるという形ではなく、自分で調べることのできる勉強がとても嬉しかったです。特別研究を選択するとき、久松先生が、『これは教師が教えるといったようなものではなく、教師にも分からない事があるから、学生と一緒に考える授業だ』といったようなことをおっしゃったときに、自分が望んでいた教科はこれだと思って、とても楽しみでした。実際、自分でテーマを決めて、計画を立て、資料を集め、論文を仕上げた時、これから何かを研究するときに自分でやりとげることができるそういった方法を学ぶことができたと思います。」
これは平成四年度の「一般特別研究」(以下「特研」と略)の最後に提出された土木工学科のSさんの感想文の一部である。彼女の仕上げた原稿用紙(四百字詰)にして五百枚近くの長文の、きれいにワープロで打った論文のずっしりとした手ごたえと共に、この感想文を目にした時に、私は「高専生にはこんなこともやれるんだ」と思いました。そして、改めて、いろいろ困難はあったが、この「特研」を創設してよかったと、つくづく思ったものです。
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「特研」というのは何なのか |
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本校では、昭和61年からカリキュラム改革に取り組み、紆余曲折を経て、平成元年度から新カリキュラムを実施することになった(1)。この新カリキュラムの一般教育((人文学系・基礎学系の両者で担当している)における柱の一つとして創設されたのが「特研」であった。これは、第三学年必修で、週一時間、一般系の教師の半数以上が担当する少人数クラスの授業で、大学の「教養ゼミナール」を同時開講するようなものを思い浮かべていただければよい(2)。
新カリキュラムの三年目、平成三年度に初めて「特研」が開講された。次に、平成二年の秋に学生達に配布した「履修ガイド」の一部を紹介して、その概要を示しておきたい。
履修する学生諸君へ
(一)「一般特別研究」では、どういうことをするのでしょう?
〇「特研」は、昨年度から実施された新カリキュラムの、三学年必修科目として導入されたものです。
ここで先ず、新カリキュラムの特徴と狙いについて述べておきましょう。
新カリキュラムは、人文・基礎学系(一般教育)のカリキュラムを大幅に改訂し、高学年での選択科目を増やし、学生諸君の選択の幅を広げ、勉学に対する意欲と自律的な学習を期待して、実施されたものです。
〇「特研」は、この新カリキュラムの中でもとくに大きな意義を持ったものであると、私たちは
考えています。13講座を同時に開講し、一講座10〜20人の少人数で、一年間みっちりと研 究
しようというのです。
〇「特研」は一般系の卒研のようなもので、それぞれの講座毎に担当の先生がたの個性に応じて
テーマが選ばれ、個性に応じたやり方でテーマが深められていきます。そこでは、担当の先生
がたの学問や人間性に触れ、また、人文・基礎系の学問の方法を身につけていくことができます。
こうした教養は、これからの技術者にとって、ますます必要になってくると思います。しかし
なによりも大切なことは、諸君が、自主的に、調査や研究、時には実験や実技に取り組むという、
積極的な姿勢をもってくれることです。
(二)履修上の注意
〇「特研」は、これまでの授業形態と全く違うだけではなく、講座によって、また担当の先生に
よって、内容はもちろん、やり方も違います。諸君は、後に紹介されている各講座の内容や
やり方をよく読んで、自分の関心や必要性に照らして選択して下さい。
〇選択にあたっては、まずなによりも自分が積極的・能動的にチャレンジしてみようとすることが
大切で、点数や評価ばかりを気にするような受身の姿勢で選ばないでほしいと思っています。
〇評価については、一年間を通じての過程を大切にすると共に、年度末には、小論文など何らかの形
で発表の機会をもうけて、評価を行うこととします。
「履修ガイド」は、この後に、クラス分けの方法などの注意と、翌年度開講予定の講座名および
担当者による紹介が続くが、それは省略することにして、こうして平成三年度から、国語、社会系、 英語、体育、数学、物理、化学の各教科の14名の教官による13の講座が開かれたのである。
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「特研」とはどんな授業?
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1.三年間の経験
平成三年度から始まった「特研」は今年で三年目を迎えている。平成四年度からは、情報工学科が増え五学科となったために、講座数も17に増やし、一般系の教師25名のうち17名が担当している。そのため、時間割編成など困難も多いが、専門学科の協力なども得て、なんとか17講座を維持してきている。特研担当は希望者を募って編成しているが、これまでの所、希望者が多くて教科毎に調整してもらっているという状況で、教師側の意欲は衰えていないと言っていいと思う。
特研はそれぞれ、フィールドワーク中心のもの、工作、実験、実技、ゼミナール、あるいは講義形式といったように、実に多様な形態で行われている。学生の中には「やってみたいテーマがいくつもあって選ぶのに迷ってしまう」という声もある位で、この三年間を見ていて、学生達は、それほど安易な(例えば、この先生は単位が取り易いといったような)選択の仕方をしていないというのが、全体としての印象である。とは言え、まだたった三年目にしか過ぎず全体として総括する段階ではなく、今は、個々の教師の個別の実践経験を集積することが必要なのだと思う(3)。
2.私の特研−「世界の中の日本」 私はテーマを「世界の中の日本・・世紀転換期における社会と文化」と決め、19世紀末から現在に至る現代史をいろんな角度から捉えてみようと意図した。初年度の「履修ガイド」から、学生に対する講座案内を紹介してみよう。
「これはまたとてつもない大きなテーマを掲げたものだと、我ながら呆れているのですが、しかし、二十世紀も終わりに近づき、時代の不透明感は誰もが感じていることではないでしょうか。われわれは一体何処に向かおうとしているのでしょう。近代文明に基礎をおいたこの数百年に、人間と社会にもたらされた変容は目を見張るばかりですが、それを単純に”進歩”とのみ言い切ってよいのでしょうか。もともと日本人には「世紀」という観念はなかった訳ですが、世紀末とか世紀転換期が意識的に捉えられるのは現在が初めてである、といってよいでしょう。それほど日本はいまや世界と緊密なつながりを持っているのです。この百年余の間、日本は善くも悪くも近代世界の中に組み込まれてきたのであり、西欧諸国やアジア諸国との関わりを抜きにしては、日本の現在を捉えることはできないのです。このテーマを選んだのはこうした理由からです。社会・文化に焦点をあてながら、学生諸君と一緒に探求してみたいと思っています。・・・
特研のやり方は、いわゆるゼミナール形式で、研究発表と討論を中心にして、最後には、研究論文を全員に書いてもらうつもりです。興味と関心のある人は積極的に参加して下さい。」
平成三年度は、25、6名の希望者があったが、調整の結果、15名の参加者でゼミナールが10枚以上の小論文としてまとめ提出することにした。
初めてのゼミで学生達は戸惑ったようである。「先生、レジュメって何ですか」といった質問に、最も基本的な所からやらなければとあらためて思い知らされたりした。
さて、紆余曲折はあったものの、曲がりなりにも、年度末には、二組の共同研究を含めて13の小論文が提出された。ここにその表題を挙げておこう。
@十九世紀のドイツ文学
Aブラームスとワグナー
Bアヘン戦争
C十九世紀末における世界経済とイギリス
D東南アジアに対する欧米諸国の植民地政策
E第一次世界大戦と日本
Fスウェーデン:福祉と中立政策
G現代のスイス
Hアメリカと日本の関係
I第一次大戦から第二次大戦までのアメリカ
Jナチズム(ドイツ保守主義の一系譜)
K中東について
Lソビエト連邦の崩壊
以上に見られるように、その扱ったテーマは広い範囲にわたっている。そしてその出来具合いはと言えば、関心のある問題に意欲を持って取り組んだものと、自由で楽な授業だと安易に流れ、最後に慌てて書き上げたものとの差は歴然たるものであった。しかし少なくとも、一人も欠けることなく、レジュメを作り二回の報告を行い、論文を仕上げた事だけは確かであり、私の目から見ても 出色のものが4、5編はあったと言える。論文のまとめで次のように書いている学生もいたのである。
「初めは、北欧ということでスウェーデン、デンマーク、ノルウエー、フィンランド、更にできたらバルト海沿岸諸国まで、とかなり欲張ったことを考えていた。ところが調べてみたら、これらの国は普段は《北欧》で片付けられているが、その事情の複雑なこと。それぞれがかなり違う成立 ちと歴史をもっているので、とても調べきれないと思い、急遽スウェーデンに絞ることにした。 《歴史》の授業では触れられないところだけに、非常に興味深く調べられたし、なによりも《苦痛》と感じず、非常に楽しかった。初めは難しいと感じた文献も、改めて読み返したらよく《分かる》ようになったし、知識が増えていくのを実感できたのは非常に有意義だったと思う。反省点も多いが、自分ではよく頑張ったと思う。」
第二年目の平成四年度。テーマは同じで、参加者数は調整して13名。前年の印象では、学生はより現在に近い時代に関心のあるものが多いということで、重心を二十世紀の方に移動することにした。そのため、『新書西洋史G二十世紀の世界』(講談社)を追加して、二冊のテキストを用いた。その分、時間的余裕がなくなったが、なんとか前期中に輪読を終えた。最初の時間にガイダンスを行い、そのとき前年度の「久松特研論文集」を回覧し、また、読みたい学生には貸し出すことにした。これは彼らに大きな刺激となったようで、少なくとも大部分の学生に「いい加減にはやっていられない」という気持ちにはさせたようである(もっとも、それが長続きしなかったものもいるが)。
この年、ほとんどの学生は、夏休み明けから、研究テーマや資料集めの相談にやってきた。冒頭に感想文を引用したSさんに至っては、7月頃から資料探しを始め、図書館や東京ドイツ文化センター図書館に問い合わせたりしている。当初、近代女性史をテーマにしようかと迷っていたが、この時期にはほぼ東欧革命に絞ったようだった。逆に、テーマが二転三転して、12月頃まで決まらなかった学生もいる。私は、学生の研究テーマについては、相談には乗るがこちらからテーマを与えることはしない方針であったので、それだけに、問題意識や意欲の差が結果に大きく影響し、個人差が出たように思う。とは言え、平成四年度の論文は、質量ともに前年をはるかに凌駕した。規定は原稿用紙(四百字詰)10枚以上であったが、上限は無制限にしたので、長文のものが多かった。以下に、論文名を挙げておこう(括弧内は原稿用紙の枚数である)。
@帝国主義の真意(13)
A帝国主義日本の朝鮮侵略(18)
B近代日本の戦争経済とその崩壊(18)
Cヒトラーの政権掌握(36)
D南京大虐殺(15)
Eオーストラリアの思想(13)
F内燃機関とメルセデス・ベンツの歴史(本文32、写真と注釈19)
G憲法第九条・・日本の掲げる平和主義の理想(51)
H北朝鮮の実像(12)
Iベトナム戦争と民族戦線(35)
J中ソ対立について(21)
Kユーゴスラビアの民族紛争(13)
L東欧革命とドイツ統一(494)
これらは現代史の諸問題に光を当てようとする試みがほとんどであるが、とりわけ第二次大戦以降の現代をテーマにしたものが半数を占めていることは注目すべきであろう。 「ユーゴスラビアの内戦を調べてみて、人間はなぜこんなにも憎しみ合わねばならないのかという疑問がでてきた。・・・・今回の論文では、政治が悪いように書いているが、その政治を悪くするのもやはり人間である。この特研を通して、人間には思いやりが大切だと言うこと、そして政治や世界の状況を考えることが必要だということを感じた。」 といった感想。テーマ選択の動機について 「東欧革命が、ちょうど自分達の受験期に起きていたことを知りました。こうした歴史的出来事のさなかに生きている自分が、何も知らないでいるというのは残念なので、調べてみたいと思った事がきっかけです。」と書いている学生。あるいは 「憲法第九条に関する文献を読むにつれ、私の選んだテーマの抱える問題の大きさに気付かされました。」 といった感想など。ここには、自分達の生きている時代に、初めて目を向けて見えてきた事に対する新鮮な驚きと、なによりも『知ること』の喜びがある。このことは、ほとんどの論文に多かれ少なかれ共通しているように思われる。
一つ一つの論文に言及できないのは残念であるが、資料の収集、その使い方、論文の構成などでは、FGLの三編は、特に水準を越えた力作であった。
いかにも機械工学科の学生らしいテーマを選んだFの論文では、巻末に豊富な写真と注釈を付けていて楽しい。これは、レオナルド・ダ・ヴィンチの自走車の意想図まで遡って、内燃機関と自動車に関する優れた技術史の叙述になっているし、メルセデス・ベンツとヒトラーの関係など、現代史と技術の関わりにまで言及している点は実に興味深いものであった。
「僕の特研は変わった種類のものをやらせていただきました。このため、資料集めには非常に苦労しました。マラソン大会の日には、マラソンが終ってから神保町や渋谷にわざわざ出かけて資料集めをしました。」と彼は感想文に書いているが、その苦労もなるほどとうなずかせるものであった。
圧巻は、新書本一冊を越えるほどの長論文となったLである。彼女は、教室が近いせいもあって、資料収集の段階から私の研究室によく出入りするようになり、最後の仕上げの段階まで、その過程の一部始終を私はつぶさに見ることができた。その努力とひたむきさは、次の文章からも十分読み取れると思う。
「論文を書いているときはとても辛かったです。正直言って、泣きたかったり、眠かったり、疲れたり、肩が凝ったり、指が痛くてもタイプしたり、ワープロをみると吐き気がするほどでした。朝日新聞の縮刷を用いたため図書館からあの分厚い本を家に持って帰るのもとても大変でした。」
そして、この過程での彼女の変貌に私は目を見張る思いであった。もともと彼女はクラスの女子学生達からは一人離れた存在で、また、男子学生ともあまりうまく話せないタイプの、いわゆる優等生であった。ところが、私の研究室にいつも出入りしている他学科(電気や機械)の上級生や同級生たちが、いつからか何かと彼女をサポートしたりするようになり、ワープロやプリンタの使い方から、印刷の手伝いまでするようになったのである。そのうちに、冗談を言ったり、からかった り、時に人生論を語り合ったりと、すっかり打ち解けるようになった。彼女はこう書いている。
「本当にいろんな方のお世話になりました。いろんな方にご迷惑をおかけしました。これを自分一人で書いたという訳ではありません。やっぱり人間は一人では生きていけないんだなあと思い知らされました。この論文を作る途中にいろんな人に協力していただいたおかげで、いろいろな人の一面を知ることができました。ただ論文を書くと言うだけでなく、例えばワープロも使えるようになりました。いろいろと難しい本も読めるようになった気がします。プリンタにもある程度慣れた気がします。機械に対する恐怖心がうすれたような気もします。いろいろなトラブルに遭遇して、少しずついろんなことに対処していけるようになった気もします。みんな気のせいかも知れませんけれど。」
授業というものは、教師の予想もしなかった副産物を生み出すものではあるが、特研をやってきて一際その思いを強くしている。私は、論文の書き方を指導したり、必要な文献を研究費で注文したり、時には、励ましたりはしたが、ただそれだけである。あえて言えば、いつでも気軽に来れるように研究室を開放し、学生達に場を提供したということであり、後は彼ら自身の内なる力が顕現したということであろう。年度末に彼らの論文を受け取るのは大きな喜びであった。とりわけ、Sさんの完成した論文を手にしたとき、ある種の感動を覚えたのであった。
学生達は、その感想文で「取り掛かるのが遅すぎて時間が足りなかった」とか「ゼミナール形式は初めてで余り質問や意見が言えなかった」といった反省を書いており、その中には私自身が反省し、改善すべき点も多くある。それらについては、機会があれば、また稿を改めて報告したいと思う。
最後に、学生の感想文から一、二引用しておく。
「やっているときは余りに膨大な仕事量に、こんな事に手を付けてしまった自分を恨みました。しかし終ってみると、一つの事を成し遂げた喜び、達成感があり、これで卒業研究をおこなう自信となりました。」
「今回自分自身でテーマを決めて論文を書き上げた事により、自分に対する自信がわいてきた気がする。今までやったことのない分野のことを、自分でまとめあげてみて、自信とともに満足感がある。」
もちろん全員とは言えないが、何人かでもこうした充実感をもったことは貴重なことであったと思う。
(注1)久松俊一、高遠節夫「高専の個性化への試みーカリキュラム改革を中心に」
(『高専教育』第16号、1993)。
(注2)五十嵐譲介、鎌田勝、高遠節夫、久松俊一「木更津高専における『一般特別研究』 (中間報告)」(『木更津工業高等専門学校紀要』第26号、1993)を参照。
(注3)同右。ここに実践についての報告も含まれているので、参照してほしい。
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